手術しても甲子園へ 夢託した仲間のメンタルリーダーに

佐藤瑞季
[PR]

 今大会のメンバー発表があった6月26日、長良(岐阜)の北川智規君(3年)の名前は呼ばれなかった。半分わかってはいたが、目の前が真っ暗になった。「ちゃんと応援できるかな。何で手術しちゃったんだろう」。考えても仕方がないことを考え続けた。

 中学最後の大会を目前にした3年前の6月、練習中に腰の痛みを感じた。病院に行くと腰の疲労骨折と診断された。内野手のレギュラーだったが、夏の大会には出られず、チームは県大会の初戦で敗れた。

 この悔しさを高校野球にぶつける――。そう決めて進学した。

 入部後、態度やプレーでコーチ陣に叱られることが多く、くじけそうになったが、毎晩2時間、家の駐車場に置いたネットに向かってボールを打ち続けた。

 昨秋の県大会で、初めて背番号「5」をもらった。だが緊張して打撃がうまくいかず、大会の途中で「15番」になった。

 どうしてもレギュラーになりたい。松岡達也監督(57)に見せる野球ノートに「外野を守ってみたい」と書いた。すると練習試合でいきなり中堅手として出場。そのまま外野手としてレギュラーで試合に出られる機会が増えていった。

 ほかの外野手が球の捕り方や送球の仕方を教えてくれた。「ポジションを争うライバルなのに、こんなに親身に教えてくれるんだ」。自分が試合に出ることばかり考えていたが、仲間の優しさに「チームっていいな」と思った。

 今年3月中旬、今度は右肩に激痛が走った。キャッチボールもできない。「腫瘍(しゅよう)ができていそうだ。悪性だと命に関わるので、すぐに手術を」。医者から完治まで半年と言われた。

 「何でいつもこうなるのか」。涙があふれた。夏の大会に間に合わないのではないかと手術の延期も考えた。だが、受け入れるしかなかった。

 4月に手術は成功した。肩に腰の骨を移植したため、歩くこともままならなかった。半月後、学校に戻った。リハビリを兼ね、痛くても校内をなるべく歩くようにした。部活動にも復帰し、マネジャー業務を手伝った。部員たちが練習する姿を見るたび、早く自分も戻りたいという気持ちが募った。

 今大会のメンバーから外れたとき、松岡監督からは「甲子園に進めば、まだチャンスがある」と言われた。気持ちの整理に時間がかかった。正直に言って今も前を向けてはいない。それでも、甲子園までに何とか肩の調子を整えたいとリハビリを続けている。

 つらいときは毎日つけている野球ノートを見返す。「バディ(相棒)の成功が自分の成功だと思え」。松岡監督が口にしていた言葉が心に響く。

 長良では、同じポジションの選手がセットで練習に取り組む。以前自分と競い合った左翼手の「背番号7」を今夏つけるのは小久保周真君(3年)。外野手に転向するとき、アドバイスをくれた一人だ。打撃練習につきあったりフォームについて指摘し合ったりしてきた。「夏に活躍できるように支えたい」と思っている。

 最近、北川君は「メンタルリーダー」になった。選手の様子を見て、変わったことがあれば声を掛け、相談に乗ったりアドバイスをしたりする。今月4日には練習試合に指名打者として出場し、復帰後の初安打を放った。チームが甲子園に進んでくれると信じて、サポートにも、リハビリにも、精を出している。(佐藤瑞季)