「建前民主主義」に後退した日本 G7の資格はあるか

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新井紀子のメディア私評

 米ソの緊張が高まり、核戦争寸前に至った1962年「キューバ危機」のさなかに、私はこの世に生を受けた。人類存亡の危機のなか、そんなことを知る由もない私自身は、黄疸(おうだん)で死の淵をさまよっていた。二つの意味で、生後すぐに死んでいたかもしれない自分が還暦に近づいていると思うと、感慨深い。

 核戦争は寸前で回避され、2年後の64年に東京オリンピック、70年には大阪万博が開催された。万博最大の呼び物は米アポロ計画で持ち帰られた「月の石」だった。ひと目見ようという人々が酷暑の中で長蛇の列をつくり、熱中症に倒れる人が続出した。

 「ウサギ小屋に住むモーレツサラリーマン」「集団で行動し、何にでも不作法にカメラを向け、大量に土産品を買いあさる日本人観光客」などと欧米メディアに揶揄(やゆ)されながらも、日本は国民総生産(GNP)世界第2位の経済大国になっていた。「日本列島改造論」を引っ提げて首相の座を射止めた田中角栄氏が「金脈問題」の表面化で退陣し、「クリーン三木」こと三木武夫氏が首相の座にあった75年、第1回の「主要国首脳会議」(当時は6カ国が参加)がフランスのランブイエで開催された。

 中学生ながら、唯一アジアから日本が「先進国」として議論の場に招かれたということは誇らしく思えた。「敗戦国日本が平和憲法で生まれ変わり、科学技術大国として平和外交で活躍する」との高揚感があった。

 ただ、実際に会議の映像がテ…

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