元ピンク・レディー「ミー」さん 激動の軌跡 上

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聞き手・西本ゆか
写真・図版
元ピンク・レディーの「ミー」、未唯mieさん=井手さゆり撮影
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 アイドル黄金期の1970~80年代、中でもスーパーアイドルだったのが今年でデビュー45周年の「ピンク・レディー」。4年7カ月の活動期間は、一見華やかでも心身共に厳しく険しい、いばらの道でありました。「当時の私はピンク・レディーの『中の人』。成功も名声も実感がなかった」。元ピンク・レディーの「ミー」こと未唯mieさん(63)は、「ピンク・タイフーン」渦中の日々をそう振り返ります。自由を求めて歌手をめざした少女時代から自分の足で歩き始めた解散後まで、激動の半生を聞きました。

思いを言えない子ども

 ――ピンク・レディーの「ミー」は明るく活発な印象でした

 元々の私は引っ込み思案で自分の思いを口に出せない子どもでした。静岡で砂利採集業をしていた父は逆らえば声もげんこつも飛ぶ雷おやじ。娘の私には特に厳しく、父のルールに反論厳禁、絶対服従で育ちましたから。小学校では5年でいじめにあい、父が仕事の都合で移っていた山梨に6年から転校した。新しい学校に、いじめられていたおとなしい私を知る子はいない。そこで私は自分を「活発ないたずらっ子」としてセルフプロデュースする作戦を立てました。結果は、ホームルームで「根本さんは困ります」と言われちゃうほど大成功!

 「演じてる」感覚が面白かったのかな。中学では演劇部に入った。すると役の「かたち」を借りれば、苦手だった「自分の思い」が私にも表現できると気付いたんです。翌年には家族で静岡に戻りましたが、もう私は大丈夫。転入した中学でも演劇部を選び、そこでケイ(増田惠子さん)と出会いました。

ケイさんとの出会い

 ――なぜ歌手をめざすことになったのですか

 当時の夢は役者。でも中3の時、オーディション番組「スター誕生」の収録が静岡に来た。地方在住者には大チャンスです。役者になる方法がわからなかった私も「足がかりになれば」と応募し、テレビ予選に残りました。私はそこで落ちたけど、同じ回に出場した藤正樹さんは勝ち進み、デビューした。夢物語が、頑張ればかなうかもしれない現実的な夢になりました。

 同じころ、中3の文化祭で私…

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