戻れぬ自宅、母の遺影は残ったまま 土石流から1週間

増山祐史 吉沢英将 浪間新太
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 9人の死者が出た静岡県熱海市土石流災害から10日で1週間。安否不明者はなお20人に上る。これまでの悪天候から一転、晴れ間が広がった現場では早朝から捜索活動が再開された。避難が長期化して緊張感のある生活が続く中、励まし合い、地域のつながりを感じている被災者もいる。

 伊豆山岸谷地区の捜索現場。10日も午前6時過ぎから警察や消防の車両が慌ただしく行き交っていた。規制線で立ち入りが禁じられるエリアは、初日と比べて狭まるどころか、広がっていた。

 規制線の近くで東京都の男性(71)が捜索現場を見守っていた。規制線内に住んでいた知人は無事だったが、心配して現地にやってきた。月1回、知人宅で歴史の勉強会を開いてきた。知人宅の周辺は電柱や住宅が傾き、うっすらと土砂が残っている様子が見えた。「まさか1週間経ってもここまで被害が残っているなんて」と話した。

 規制線の中に自宅がある金沢由彦さん(62)は、飼っているインコの様子を見るため、警察の許可を得て自宅に入った。土砂の被害は免れたが、自宅には戻れない。避難先のホテルにはインコを連れて行けず、「このまま規制線が解除されなければ、誰かに譲らないといけない。自分もいつになったら家に帰れるのか」と声を落とした。(増山祐史)

 避難生活も1週間。避難先の熱海ニューフジヤホテルには500人以上が身を寄せる。

 田中安雄さん(71)は弟と避難。朝夕はバイキング形式の食事が提供され、大浴場にも入れる。それでもやはり「日常とは違う」。緊張感のある生活が続く。自宅は土砂で損壊した。帰宅できず、自宅には母の遺影が残ったままだ。「せめて写真だけでも探したい」

 祖父らと過ごすプログラマーの30代男性は、自宅周辺の土砂の撤去などが進み、まもなく帰れる見通しだ。避難中はホテル近くで無料でふるまわれたコーヒーを飲んだり、知人らと会話を交わしたりして過ごした。「地域の人とのつながりの大切さを感じた」と言う。「帰宅したら被害が甚大な地域の復興のお手伝いがしたい」

 80代男性は近所の住民と同じ部屋で過ごす。神奈川県に別宅があるが、自宅を失った人たちの話し相手になろうと避難先に残る。「馬鹿話でもしたら、気持ちだって紛れるだろ」(吉沢英将、浪間新太)

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