亡き母に「心配いらないよ」 春に初レギュラー、挑む夏

吉村駿
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 天国の母に成長した姿を見せる――。京都両洋(京都市中京区)の原野晃成君(3年)は、そう誓い、今春、初めてレギュラーをつかんだ。右翼手として京都大会に出場し、14日に一昨年の京都代表、立命館宇治に挑む。

 原野君の母、裕美さんは19年10月、47歳で肺がんで亡くなった。原野君が高校1年の時だった。一度も、高校のユニホーム姿を見せることができなかった。

 「今日見に行くから、少しは打ってな」

 中学3年の8月。大会に出かける原野君を見送りながら玄関先で母が声をかけた。次打者席にいた時、母の声援が聞こえた。恥ずかしかったけれど、うれしかった。結局、あまり良いところは見せられなかった。その試合が母が応援に来た最後の試合になった。試合後、ユニホーム姿で母と2人で撮った写真がスマートフォンに残っている。

 練習で打てずに落ち込むと、この写真を眺める。「またお母さんが僕のプレーを見られるようにレギュラーを取らないと。天国で心配しているだろうな」

 高校に入学して間もない19年5月、母は突然入院した。当初はすぐに戻ってくると思っていた。練習が休みの日は、病院へ寄ってから帰るのが日課になった。「練習試合は打てたの?」「ちゃんと練習に行ってね」。病床で母は、原野君が野球に集中できているか、心配していた。

 8月。ベッドから起き上がった母の枕元に、大量の髪の毛が抜け落ちていた。父の俊明さん(48)に話すと、「抗がん剤治療の影響や」。このとき初めて、母の病気ががんだと告げられた。

 翌日から病室で、母の手を両手で握りながら話をした。病気と闘えるように支えなければ。僕のことで心配させないように。「この前野球部でプリクラ撮ったんだ」「練習試合で長打を打ったよ」

 自信を持ってプレーする姿を見せたい。その思いは母が亡くなった後、より強くなった。練習後も、家の前で黙々とバットを振り続けた。50メートルを6秒前半のタイムで駆け抜ける俊足を生かすため、走塁練習にも力を入れてきた。

 今夏は、背番号9をつけて初戦に臨む。塁に出て、足で相手をかきまわすつもりだ。「高校3年間でこんなにうまくなったから、心配いらないよ、お母さん」(吉村駿)