核のごみに揺れる北海道寿都町、100年前にも大揺れ

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アナザーノート 大月規義編集委員

 北海道の新千歳空港から車で西へ180キロ。海鳥の声が聞こえ、大型の風車が見えたら、そこが寿都(すっつ)町だ。日本海に面した人口3千人足らずの港町が、「核のごみ」の最終処分場に適しているのか、調査が始まって8カ月。賛否をめぐって町は真っ二つに割れている。この町が100年余り前、鉱毒問題で大きく揺れたことはほとんど知られていない。

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民宿にあった「歴史」

 核の最終処分場は長年引き受け手が現れない迷惑施設だ。このため、2年程度の調査を受け入れるだけでも国から20億円が交付される。失礼ながら、そんな「アメ」に釣られる町とは、さぞ寂れた町だろうと思っていた。

 昨年冬、寿都町を訪れると、安直な想像は一瞬で消えた。

 漁港に面した商店や民宿、すぐ奥には役場や文化センター、裁判所などが整然と並ぶ。さらに奥には山々が連なる。1989年には全国の自治体で初めて風力発電事業を始めるなど先駆的な取り組みもしてきた。

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寿都漁港から見た街並み=6月26日、北海道寿都町、大月規義撮影

 たまたま泊まった民宿の経営者、三原光恵さん(74)に、昔の寿都を尋ねると、「明治から昭和の初期まで寿都は漁業や鉱業で栄え、この民宿の隣にも昔は『寿都劇場』という映画館がありました」。関心を示すと、一冊の本を貸してくれた。

 『寿都五十話』(2014年、自費出版)。784ページに及ぶ分厚さだった。筆者は山本竜也さん(44)。寿都の測候所に勤めたことのある現役の気象庁職員だ。町民ら約100人の証言を集めながら、明治のころの新聞や史料などを函館市の図書館や国立国会図書館に出向いて調べた。

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寿都町の歴史を研究した山本竜也さん=6月27日、札幌市、大月規義撮影

「国家的事業」の行方

 山本さんは昨年夏、寿都五十話から抜粋した『寿都の海と山を守れ 明治44年のおはなし』という小冊子を出版していた。あらましはこうだ。

 1911(明治44)年6月、当時の鉱業界では有名だった武田恭作という人物が、寿都で銀鉱石の採掘を本格化させた。鉱石は当初、秋田県に送られ精錬されたが、武田は寿都に精錬所を建設する計画をぶち上げた。

 「(ばい煙で)ニシンがとれなくなる」「草木が枯れる」など町民、町議会、役場は一斉に反対した。その10年前、足尾銅山栃木県)での鉱毒事件で田中正造明治天皇に直訴するなど、鉱毒は当時の大きな関心事だった。

 これに対し、武田は「鉱山は…

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