孤高の画家・筧忠治 写真家だけが見たアトリエの気迫

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佐藤雄二
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 筧忠治(かけひ・ちゅうじ、1908~2004)は孤高の画家だった。愛知県一宮市生まれ。13歳で県測候所(現・名古屋地方気象台)に就職し、働きながら独学して絵を描いた。

 画壇と関係をもたず、絵を売ろうとせず、そのせいもあって、ほとんど無名だった。

 1998年に刈谷市美術館、2000年に一宮市博物館が相次いで個展を開き、名前が知られるようになった。すでに90歳を過ぎていた。

 画家の最晩年に親交のあった写真家の中島初男さん(74)=名古屋在住=が書いた長文の手記が、このほど、名古屋画廊の中山真一社長を介して記者に届いた。

 絵を描くことが自己を探求する人生そのものだった筧忠治の素顔をつづった文章を、中島さんが撮影した写真とともに紹介したい。

 おりしも、筧忠治を無名の画家に終わらせなかった刈谷市美術館で「筧忠治作品展」(~7月18日)が開かれている。

筧忠治さんとの出会い

 先生の名前を知ったのは1998年5月。刈谷市美術館での個展を紹介する朝日新聞の記事だった。妻と美術館へ見にいくと、仁王のような自画像のほかに猫、花、風景などの絵が並んでいた。

 母親を描いた縦2メートルもある大きな絵が目にとまった。10年の歳月をかけたというその絵は、手のあたりの絵の具の厚みが2~3センチもある作品だった。

 この年、先生は90歳。展覧会の解説書を読むと、住まいは名古屋市中川区の下之一色町松蔭だという。近所にこんなすごい画家がいたのかと驚いた。来館者と握手をかわすようすを見ているうちに、「この人の写真を撮り残せたら」という思いがこみあげた。

 展覧会が終わってからのある…

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