隣には遺体安置所があった 「復興五輪」の会場で考える

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編集委員・石橋英昭
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 強い逆風の中、東京五輪は21日、東日本大震災の被災県・宮城と福島でのサッカー、ソフトボールの試合で、事実上の幕が開く。宮城は観客も入るが、感染拡大を不安に思う声も少なくない。その日を待つスタジアムで、東北大教授の村松淳司(あつし)さん(62)と共に考えた。それでも「復興五輪」の意味はありますか?

 男女サッカー10試合が行われるのは、宮城県総合運動公園(利府町、愛称グランディ・21)にある宮城スタジアム。2001年の宮城国体のために建てられ、02年の日韓サッカーW杯でも使われた。日本代表がトルコに敗れ、ベスト8を逃したあの舞台だ。

 村松さんはすぐ近くに住む。W杯以降、スポーツボランティアとして施設にかかわり、国際試合や大イベントのたび、観客誘導を仲間と担ってきた。このほか各地の災害支援に赴くなど県スポーツ界、ボランティア界で知られた存在だ。本業では、第一線で多元物質科学を研究している。

 11年3月。

 「震災発生翌日の12日、出張先からやっとのことで帰宅すると、上空を何機ものヘリが舞っていた」

 グランディは、全国から集結した救援部隊のベースキャンプになっていた。各県の消防や警察、ガスや通信の復旧チームの車列が、毎朝ここから津波被災地に向かった。

 スタジアム隣の総合体育館(メインアリーナ)は、遺体安置所に。膨大な犠牲者数が見込まれ、棺を置く広い場所が必要だった。

「やっと子どもに会えました」と言った夫婦

 主に海上で収容された遺体がヘリで運ばれ、アリーナの楽屋口で洗浄され、検視が行われた。

 12日は60家族、13日は約400家族……。安否不明の身内を捜しに来る人が絶えない。村松さんは10日間ほど、その案内役をかってでた。

 「ロビーには、遺体の特徴を…

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