32歳で手にした五輪、内村ではないコウヘイの凸凹道

体操

潮智史
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 最後に残っていた種目別の個人枠で五輪代表に滑り込んだ。体操選手としては高齢の32歳で初めて手にした出場権を、亀山耕平は「自分でつかんだ感じはない。運が転がってきた」と表現する。

 遅咲きとはいえない実績がむしろ、でこぼこの競技人生を物語っている。

 2013年世界選手権の種目別あん馬。当時24歳。初めての大舞台で優勝した。手足の長さの違いから日本人には不利とされてきた種目で、一躍時の人となった。

 翌14年は代表入りしたものの、長い不調に陥り、16年のリオデジャネイロ五輪代表を逃す。「13年に世界一になって、もうやることないじゃんと」。タイトルが執着心やモチベーションを鈍らせた。所属する徳洲会米田功監督が引き留めなければ、リオ五輪を逃した時点で引退していた。

 米田監督にいわせると、良くも悪くも人や物事に影響を受けやすい人柄。心理学自己啓発本を読みあさり、試行錯誤を重ねた。亀山は「特に13年から今年までは、メンタルがめちゃくちゃ弱い自分を認識して向き合ってきた時間。それがいま、プラスになっている」。

 東京五輪への切符をかけた種目別W杯ドーハ大会はコロナ禍で何度も延期された。最終的に開催されたのはこの6月。当初の予定から1年3カ月が経っていた。

 出場権に関わる大会が開かれるのか、開かれないのか。中ぶらりんの状態は「ストレスもあり、きつかった。気が遠くなるような時間だった」と振り返る。

 あん馬は6種目の中で最も地味といわれる。常に重力にあらがいながら、旋回を止めれば落下する。そんな種目に取りつかれた理由はいまだにわからない。ただ、出場権を得たいま、「体操の神様がいて、才能を与えたからやってごらん、といわれているような不思議な感じがある」という。

 キングと呼ばれる同学年の内村航平とは対照的な足取りで五輪にたどり着いた。「まさに巡り合わせ。同じコウヘイでがんばります」。肩の力は抜けている。潮智史