私が感じた、各国で異なる「遺体」の感覚

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それぞれの最終楽章・死を学ぶ理由(3)

シニア生活文化研究所所長 小谷みどりさん

 20年ほど前、私がタイ・バンコクの屋台でランチの麺を食べていると、隣の席に座った男性数人が遺体の写真が掲載された雑誌を見て談笑していました。「おかしな人たちがいるなあ」と私がチラチラ見ていたせいか、しばらくして「読み終わったからあげる」とその雑誌を私にくれました。

 英語とタイ語で「クライムニュース」と書かれた雑誌には、事件や事故で亡くなった凄惨(せいさん)な遺体の写真や女性のヌード写真が掲載されていました。遺体の写真は、遺族から提供されたものではありません。日本ならば遺族の心情に配慮し、このような写真を掲載することはあり得ないでしょう。

 その頃の日本ではヘアヌードが解禁され、性についてはオープンに語られはじめたものの、死のイメージは社会から隠蔽(いんぺい)されていました。遺体を不特定多数の目にさらすことについては今なお「不謹慎だ」「死者への冒瀆(ぼうとく)だ」という意見が主流です。昨年亡くなった元プロ野球選手の野村克也さんの遺体の写真を義理の息子がSNSに投稿したところ、その是非について物議をかもしました。半面、博物館で開催される古代エジプトのミイラ展は大人気。ミイラはれっきとした遺体です。

 私はカンボジアで社会活動を…

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