消防士の強い父、膵臓がんに 一緒に過ごした野球の時間

西田有里
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(17日、高校野球兵庫大会 市川5-0松陽)

 「お父さん、力を貸して」。そう願いながら打席に入った。

 5点リードされて迎えた最終回、2死に追い込まれていた。それでも、松陽の4番、長谷川臣(じん)君(3年)はバットを構え、一瞬表情が緩み、笑顔を浮かべた。「お父さんとやってきたことを思い出した。『あれだけやったから』って」

 初球を振り抜いたが、打球は左翼手のグラブの中へ。最後の打者になった。「打てなくてごめん」。亡き父に謝った。

 小学4年で野球を始めてから、コーチはずっと父の欽也さんだった。仕事終わりに自宅の庭で30分から1時間、打撃練習のためボールを投げてくれ、アドバイスしてくれた。

 中学3年の頃。帰宅したら、欽也さんから紙を差し出された。「これ、漢字読めるか?」

 「膵臓(すいぞう)癌(がん)」と書いてあった。

 現役の消防士で、中学までは野球、高校ではラグビーをしていた。強い父だったから、きっと大丈夫と信じていた。

 高校に入っても、体の痛みを感じる時もあったのに、庭での打撃練習に付き合ってくれた。「もっと右足に体重を乗せて」「打つ時、体が伸びすぎてた」。2年生の春、寝込んでしまう直前まで、一つひとつ、丁寧に教えてくれた。

 「レギュラーをとれ」。いつも言われてきた。1人でも納得するまで庭で素振りを続けた。昨夏の独自大会では、2年生でレギュラーをつかんだ。だけど、間に合わなかった。その1カ月ほど前、欽也さんは息を引き取った。

 つらかった。けれど、見守ってくれている気もして、庭での打撃練習を続けた。新チームでは4番を任された。

 そして臨んだ高校最後の夏。この日の試合で、快音はなかった。でも、伝えたい。「お父さん、今までずっと野球を教えてくれてありがとう」(西田有里)