亡き親友のグラブで「やり切ったよ」 一緒に戦った夏

木村浩之
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(18日、高校野球西東京大会 杉並2-6日野)

 シード日野の撃破を狙った杉並のエース笠谷昂生(3年)は、ピンチになると空を見上げていた。「彼の苦しさに比べたら、こんなのピンチじゃない」

 笠谷が使う黄色いグラブは、中学3年の冬、親友だった「彼」にもらった。小学生の頃、同じチームで汗をかいた。投手が彼、捕手が笠谷。同じ中学に進んだが、自分は軟式、実力があった彼は硬式のチームに入った。学校からの帰り道、「甲子園に行きたいな」と野球談議に花を咲かせた。

 中3の3月、友達との「卒業旅行」でお台場に行こうとした日、彼が来なかった。その日初めて、小児がんだと知った。でも1週間後、LINEで「医師に治ると言われた」。安心した。彼は野球の実力を買われ、他県の高校に進んだ。

 2年前の夏、神宮球場で東東京大会の決勝を観戦し、ブルペンで投げる中学時代の仲間の写真をLINEで送った。後日、入院中だったと知らされた。その後、11月に亡くなった。

 お葬式で会った彼は、やせて別人のようだった。つらい闘病生活だったんだろう。自分は好きな野球ができる。闘病に比べれば、きつい練習も何ということはない。そう思った。

 笠谷は高校で、投手を志望した。中学卒業前、内野手に転向する彼から投手用グラブをもらっていた。投手として彼のグラブを使うことで、復帰を祈りたかった。

 彼のグラブを使って臨んだ最後の夏。この日、一回にいきなり3四球を与え1死満塁。彼を思い出し、自分を奮い立たせた。打ち取った当たりだったが、守備のミスが出て同点に追いつかれた。

 笠谷は試合後、「試合を壊し、後悔しかない」と泣いた。でも、見上げたら、空は真っ青だった。上からよく見えただろう。彼に言うつもりだ。「一緒に戦った。お疲れさまでした。やり切ったよ」=市営立川(木村浩之)