馬やライオンから科学的鍛錬まで レスリング、勝利への執念は脈々と

レスリング

金子智彦
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 今年6月、男子フリースタイル65キロ級の乙黒拓斗(自衛隊)は馬に追いかけられていた。

 「オラァーーー」

 長野・菅平であった高地合宿の最終日。乙黒拓は声を上げながら、坂道ダッシュした。

 コーチ陣の狙いは「厳しい中でもう一つムチを打ち、己の限界を超える。火事場の馬鹿力じゃないけど、知らない力が出る」。

 半分はレクリエーション込みでの練習だが、乙黒拓は「科学的にいいことはないかもだけど、怖かったのでタイムは速くなった」。インスタグラムには「馬に喰(く)われると思ってダッシュしましたが、馬は草食でした……」。

 勝つためには――。レスリング界では、冗談みたいなことを本気でやる歴史がある。ライオンとにらめっこさせて精神力を鍛える。ハブとマングースの対決を見て闘争心を学ぶ。メディア受けの側面もあるが、独特かつスパルタ、根性主義などと評される強化方法のエピソードは事欠かない。

 2016年リオデジャネイロ大会まで男女計32個の五輪金メダルを獲得した「お家芸」。中でも、男子は1952年ヘルシンキから16年リオまで16大会連続(不参加の80年モスクワを除く)でメダルを獲得した。競技人口は決して多くないが、メダルを取り続ける。

 勝利への執念が表に出たのは、60年ローマ大会。金ゼロの「惨敗」を喫した選手団は丸刈りに。命じたのは八田一朗氏。協会トップに30年以上君臨し、参院議員も務めた。「日本レスリングの父」と言われる。

 覇気がなければ「毛をそれ」。強気を養うため「夢の中でも勝て」。攻撃力を2倍にするため食事や歯磨きは利き腕の逆で――。

 勝利のみを追求し、私生活すべてを捧げさせる教えは「八田イズム」と言われる。これが行きすぎて問題も起きてきた。時は移り変わり、正月の寒中水泳などは「このご時世なので」(協会幹部)。

 「硬派な競技なので、お偉いさんに会う度に批判される」。そうは言いつつ、男子フリー86キロ級代表の高谷惣亮(ALSOK)は学生時代も長髪をやめず、勝利パフォーマンスも敢行。全く動じない。科学的なトレーニング方法が確立し、前時代的な練習風景は姿を消しつつある。

 それでも、「『負けていいよ』という競技団体はない。特にレスリングは4年に1度咲く花と言われた。勝ってナンボ」と西口茂樹チームリーダー。選手たちは「(勝ち名乗りで)自分の手が上がっているように」と口癖のように言う。時代は変わっても、勝利への執念は脈々と受け継がれている。(金子智彦)