第2回それはバブル崩壊から始まった 「書斎派」変えた荒波

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編集委員・豊秀一
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テミスの審判② デザイン・甲斐規裕
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 司法制度改革審議会で強力なリーダーシップを発揮して改革を前に進めたのが、憲法学者で会長の佐藤幸治(84)である。佐藤が改革の必要性を痛感するまでには、それに至る前史があった。日銀の独立性の強化を検討する研究会に参加することになったが、そこで「この国のかたち」を目の当たりにすることになる。

ギリシャ神話の女神「テミス」は両手に天秤と剣を持つ。司法の公正さと正義を表す象徴だ。司法制度のあり方を考える「テミスの審判」第1部では、司法制度改革審議会の会長を務めた佐藤幸治の歩みを軸に、改革の背景を探る。

多感な青春期に大きな衝撃を与えた

 司法制度改革審議会は2001年6月、「21世紀の司法のあるべき姿」を打ち出した。会長をつとめた佐藤幸治(84)は、自らを「書斎派」と呼んできた。だが、その人生は1990年代末から政治の荒波にもまれていった。

 憲法学者である佐藤が研究者生活をスタートしたのは、1962年6月だった。京大法学部を卒業していったん住友銀行に就職したが、学問への思いを捨てきれず、1年2カ月で助手として大学に戻った。

 憲法学の道を進んだ理由の一つは、1956年の「ハンガリー動乱」だった。民主化を求めた民衆の蜂起をソ連が弾圧した事件は、多感な青春期に大きな衝撃を与えた。少年航空隊を志願し特攻隊となった兄を戦争中に失った経験も、憲法体制への関心を強めていた。

 「全体主義に陥らないようにするために何が大事なのか、ということに関心を持つようになった。自由で公正な社会を守る基本的な規範が憲法だ。その規範を維持し、人間の自由・自律的生を保持していく。そのために何が必要か、何が重要かを常に意識するようになった」

 1967年夏、米国のハーバード・ロースクールに留学。現地での議論に触発され、個人の自由と開かれた社会を保持するにはプライバシーの権利や情報公開制度の確立が不可欠だと確信する。1980年代前半からは自治体の情報公開・個人情報保護条例の制定にも関わったが、研究・教育中心の日々を送っていた。

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左から佐藤幸治氏、古川貞二郎氏 グラフィック・甲斐規裕

「どうして私が委員に?」

 しかし、高度経済成長の終わりとその後の国内経済環境の変化が、「書斎派」の佐藤の生活を大きく変えていく。

 1990年代半ば、バブル経済の崩壊と金融機関の不良債権問題が社会問題化した。経営破綻(はたん)した信用組合理事長からの高額接待など大蔵官僚の不祥事も相次いだ。大蔵省への権力集中への反発は高まり、日銀法を改正して中央銀行である日銀の独立性を確保することが、政治課題として急浮上した。

 前日銀総裁白川方明(71…

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