第3回再構築する「この国のかたち」 回り始めた改革の歯車

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編集委員・豊秀一
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テミスの審判③ デザイン・甲斐規裕
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 日銀改革の委員の役割を終えるとすぐ、佐藤幸治(84)は行政改革へかかわっていく。研究・教育の場から、統治構造改革のただ中へ踏み込むことになった。佐藤に声をかけたのが、当時の官房副長官の古川貞二郎(86)。古川は「天の時・地の利・人の和」という言葉をしばしば口にする。古川との出会いが、佐藤がのちに司法制度改革へかかわることを決定的にした。

 ギリシャ神話の女神「テミス」は両手に天秤と剣を持つ。司法の公正さと正義を表す象徴だ。司法制度のあり方を考える「テミスの審判」第1部では、司法制度改革審議会の会長を務めた佐藤幸治の歩みを軸に、改革の背景を探る。

 「この国のかたち」

 作家の司馬遼太郎が、月刊文芸春秋に書き続けた巻頭随筆のタイトルである。1986年から1996年に司馬が亡くなるまで、連載は10年続いた。

 同名のエッセー集はベストセラーになり、司馬が作ったこの言葉は、首相の施政方針演説をはじめ、政治の世界で広く使われるようになった。

 司法制度改革審議会の会長をつとめた佐藤幸治(84)は、早い時期に「この国のかたち」というキーワードに注目していた。

 メンバーの一人として日銀改革を議論した中央銀行研究会が解散したあと、佐藤は1996年11月、行政改革会議の委員に就いた。橋本龍太郎首相直属の組織で、中央省庁の再編や首相官邸の機能強化の具体案を1年以内にまとめることが求められた。

 翌97年夏の中間報告で佐藤に委ねられたのは、総論と内閣機能の強化に関わる部分の執筆だった。佐藤は、担当の若手事務局員に京都の自宅の書斎に集まってもらい、事前に用意してもらった文案をもとに議論しながら、練り上げた。

 行政改革の理念と目標をこう掲げた。

 「今回の行政改革は、『行政』の改革であると同時に、国民が、明治憲法体制下にあって統治の客体という立場に慣れ、戦後も行政に依存しがちであった『この国のあり方』自体の改革であり、それは取りも直さず、この国を形づくっている『われわれ国民』自身のあり方にかかわるものである。われわれ日本の国民がもつ伝統的特性の良き面を想起し、日本国憲法のよって立つ精神によって、それを洗練し、『この国のかたち』を再構築することこそ、今回の行政改革の目標である」

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左から保岡興治氏、高坂正堯氏、司馬遼太郎氏、佐藤幸治氏 グラフィック・甲斐規裕

 なぜ「この国のかたち」なのか。佐藤は言う。「行革の目玉の一つは、各省庁の編成替えだった。同時に、1964年の第一次臨時行政調査会答申以来の課題であった内閣機能の強化。そのためには、訴求力のあるこの言葉が必要だと考えた」

 多様な議論を束ねるキーワードとして「この国のかたち」を戦略的に使い、内閣機能を強化して総合調整力を発揮できるようにすることを正面から打ち出したのである。もっとも、今日のようなゆがんだ官邸主導が生まれるとは、佐藤は当時、想像もしなかった。

「憲法(constitution)は慣習やね」

 もう一つ、「この国のかたち」には憲法学者としての佐藤自身の思いもあった。憲法はconstitutionの訳だが、もともと構造や体質、伝統という意味が含まれている。

 「ところが、日本で憲法といえば法典(条文)がイメージされがちだ。もちろん法典(条文)は極めて重要だが、それをよりよくいかすよう、あるべき私たちの住む国の姿やかたちを考え、不断に努力することも憲法を考えるということなのに、そのニュアンスが忘れられてしまっているのではないか」

 佐藤が思い起こすのは、かつての京大法学部の同僚で、英国の歴史にも精通していた国際政治学者の高坂正堯の口癖だ。「憲法(constitution)は慣習やね」とよく語っていたという。そして「現代の日本語の訳としては、司馬遼太郎氏の『国のかたち』がもっとも適切だと私は思う」とも。

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国政政治学者の高坂正堯氏=1994年3月2日撮影

 日本という国のかたちは、肥大化した「行政国家」となっている。これをどうすれば、個人の尊重を核とする日本国憲法の本来の趣旨に近づけられるのか。中央銀行研究会から一貫する佐藤の問題意識だった。

 

 佐藤が行政改革に取り組んでいた1997年、司法制度改革の歯車も静かにまわり始めていた。

 1月22日、自民党政調会長山崎拓(84)が衆院本会議で代表質問に立ち、橋本首相に問うた。「社会の変化に対応し、21世紀の司法の新たな役割に着目した司法改革は国づくりの基本ではないか」

 橋本首相「司法の場において…

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