孤高の存在→後輩に冗舌 燃え尽きて大けがもした上野由岐子の13年

ソフトボール

井上翔太
[PR]

 ソフトボール女子日本代表の上野由岐子ビックカメラ高崎)は今、後輩を語るとき、冗舌になる。

 「気づいたことは伝えるけど、どう受け止めて、採り入れるかは、本人次第」

 「できることは、後輩たちが自分を見失ったときに、どう引き戻してあげられるか。ありのままの自分のパフォーマンスを出すために、ここまで準備してきたんでしょ、と伝えたい」

 前回、競技が行われた2008年の北京五輪で、エースとして悲願の金メダルをつかんだのは、26歳のとき。あれから13年。感情や体の状態の浮き沈みを経て、今に至る。

 北京の後、競技をやめることも考えた。本人によると「燃え尽き症候群」。次の目標を見つけられず、そこに向かってひたむきに突き進む自分の姿を想像できなかった。指導者になるための資格も取った。

 自身を第一線の位置まで引き戻してくれたのは、当時は所属先の監督を務めていた宇津木麗華・現日本代表監督の言葉だった。

 「これまでソフトボールを通じて、(人格を)つくってもらってきた。今度は恩返しをする番」

 北京の決勝前、電話で体の状態を相談するほど信頼を寄せる宇津木監督の一言に、心が晴れた。

北京に続く金は「使命感」

 その宇津木監督は、16年にソフトボールの五輪復活が決まった後、東京五輪でチームを率いることが発表された。以来、上野は五輪について聞かれると「どうしたら監督や皆さんの期待に応えられるか」。金メダル獲得は「使命感」と口にしてきた。

 目標が見定められるようになったとはいえ、順調ではなかった。予期せぬ大けががあった。

 19年4月27日。日本リーグでの登板中、相手打者の放ったライナーが左あごを直撃した。その場でうずくまった。

 「完全に下あごが、ずれている感じ。これはもうダメなやつだって。脳振盪(しんとう)もひどくて、動けなかった」

 骨折と診断され、入院を余儀なくされた。

 ただ「基本的にポジティブ」と言うとおり、重傷を負っても、気持ちは簡単には揺らがなかった。

 手術の直後は、流動食。「口が開けられなくて、食べたいという意欲も、わかなかった」。体重は約5キロ落ちた。おかゆを口から食べられるようになると、退院。それでも通常の食生活を取り戻すには、時間がかかった。肉はハサミで細かく切った。ミニトマトやバナナをかじれるようになった日を「記念日」として、写真に残した。

「雰囲気、作ってくれる」

 軽めのキャッチボールを再開したころの6月25日。五輪でも最大のライバルとなる世界ランク1位・米国との「日米対抗戦」最終戦があった。試合前、先発マウンドを任された藤田倭(やまと)に助言を送った。この試合、藤田は「自分がエース」と意識付け、米国打線を8回無失点。「逆に自分がいないことで立場も変わって、自信につながっただろうと思う」と上野は喜ぶ。

 現在、藤田は上野を慕い、同じビックカメラ高崎でプレーする。藤田は「2012年に自分が初めて代表入りしたとき、上野さんは黙々と、淡々とソフトボールをしていた。いまは、年下の選手がしゃべりやすい雰囲気を作ってくれる。技術も教えてくれる」と上野の変化を語る。

 東京五輪になると、これまでの国際大会より注目度が上がる。投手陣は上野、藤田、そして20歳の後藤希友(みう)(トヨタ自動車)の3選手。この中で唯一、五輪の舞台を経験している上野は「五輪での心構え」について、こう話した。

 「マウンドでは物おじせず、五輪という舞台を肌で感じて、次への糧にしてほしい」

 「集大成」と位置づける自身にとってだけでなく、次世代への継承も担い、世界最高峰の舞台に臨む。井上翔太