「動いてないとあの夜に」 2歳児亡くし20年、闘う父

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遠藤美波
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 折り重なった群衆の中で、幼子は息を引き取った。兵庫県明石市の歩道橋で花火の見物客11人が亡くなった事故から21日でまる20年。下村誠治さん(63)はこの間、再発防止や遺族支援に駆け回ってきた。「次の被害者を生まない」「遺族を孤立させない」。だが理由はそれだけではない。

 21日午前、花火大会があった海岸とJR朝霧駅とをつなぐ歩道橋の上で、下村さんは集まった市職員約20人に語りかけた。この日に事故体験を語るようになって6年目になる。

 20年前の夜。ここで次男の智仁ちゃん(当時2)を抱っこしながら、すし詰めの群衆にのみ込まれた。群衆雪崩が起き、はじき飛ばされた。倒れた人の山の下に、顔色が変わった智仁ちゃんを見つけた。

 ひたすら心臓マッサージをしたが、冷たくなっていく。搬送先の病院の医師から止められても小さな胸を押し続けた。看護師から「肋骨(ろっこつ)が折れてしまう」と言われて、我に返った。

 自分そっくりだった次男坊との思い出は、ここで終わってしまった。

 11人が死亡、247人が負傷した惨事。花火大会を主催した明石市、警備会社、兵庫県警の3者から納得いく説明はなかった。

 民事訴訟の準備を進めていた2001年秋、信楽高原鉄道事故(1991年)の遺族と出会う。遺族らが再発防止のために立ち上げた民間組織「鉄道安全推進会議」(TASK)の初代会長でもある臼井和男さん(2005年に65歳で死去)。ご飯がのどを通らず、栄養ドリンクばかり飲んでいた下村さんに弁当を勧めた。「体力がないと、闘えませんよ」

 臼井さんは続けた。「責任の…

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