井上康生監督、指導の軸に三つの言葉 選手と向き合い9年、集大成へ

柔道

波戸健一
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 練習に身が入らない。どこか覇気がない。2013年にあった海外合宿。参加した選手たちに、気の緩みが見えた。

 12年ロンドン五輪で金メダルを一つも獲得できなかった柔道男子。日本代表監督に就任したばかりだった井上康生(43)はその時、怒るのではなく、自身の経験を選手たちに話し始めた。

 「昨日まで元気だった大切な人を、いつ亡くすか分からない。一日一日を全力で生きてほしい」

 井上がもっとも輝いたのは金メダルを取った00年シドニー五輪。だが、その前年、最愛の母が51歳で急逝。05年には3兄弟の一番上の兄も32歳で亡くしている。

 人生ははかないもの。それは、井上自身の現役時代もそうだった。シドニー五輪金の後、04年アテネ五輪は準々決勝敗退、08年北京五輪は代表落ちを経験した。「成功はごく一部。失敗と挫折の連続」と自覚する。

 だから、自分が頂点に立つんだという「熱意」、逆風が吹いた時の「創意」、周囲の支えに感謝する「誠意」の三つの言葉を指導の軸に掲げる。

 日本代表監督に就任したのは34歳だった。母校の東海大で柔道部の副監督になって間もなく、指導者としてのキャリアは浅かった。だが、当時の斉藤仁・強化委員長(故人)が「柔道界を立て直せる人材」と大役に起用。「自分でいいのか」と井上は葛藤したが、2番目の兄・智和さん(45)は「お前に与えられた使命だよ」と背中を押した。

 08年の現役引退後に2年間、英国に渡って見聞を広げた。全日本を担う選手たちには「スポーツ界を代表する存在になってほしい」と自覚を促した。移動時はスーツの着用を義務づけ、ひげを伸ばすことを禁じた。

 代表合宿では選手が茶道や書道に触れる機会を設け、泊まりがけで自衛隊の体験入隊も実施。スポーツ観戦や、他競技の選手との積極的な交流も推奨した。ラグビーワールドカップで活躍した日本代表のリーチ・マイケル主将を合宿に迎え、大舞台に挑む心構えを説いてもらった日もある。

 14年、代表活動中に遅刻を繰り返した選手が出ると、自ら責任を取って頭を丸刈りにした。選手時代からライバル井上をよく知る鈴木桂治・日本代表重量級コーチ(41)は言う。「井上監督は選手と常に向きあってきた。だから、みんなが『井上監督のために』って慕うんです」。冒頭の場面も「監督は自身の経験談を交えながら話してくれた。あの言葉で選手たちの顔が一気に引き締まった」。その場にいた強化スタッフは振り返る。

 チーム改革は実った。16年リオデジャネイロ五輪では男子7階級のすべてでメダルを獲得した。そして、全日本柔道連盟の規定で、代表監督は東京五輪が最後。29日までに5個の金メダルを獲得している。

 「9年間で築いたものを開花させたい。選手が最高のパフォーマンスを出せるように支えたい」

 31日に最後の試合、混合団体戦に臨む。(波戸健一)