インフォグラフでみる 実は遅咲きの陰陽師、安倍晴明

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西田健作
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グラフィック・北谷凜
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 平安時代の陰陽師(おんみょうじ)・安倍(あべの)晴明(せいめい)のイメージといえば、若くてクールな美男子だろう。だが、実際はかなり遅咲きで、80代まで仕事をして地位を高めた人物だった。今年は生誕1100年。晴明の実像と虚像とは。

 「シニア世代の鑑(かがみ)のような人」。安倍晴明について、細井浩志・活水女子大学教授(日本古代史)はこう表現する。

 現代の小説やマンガで早熟に描かれることが多い晴明は、実際は39歳のころにまだ陰陽寮の「天文得業生(てんもんとくごうしょう)」だった。「現在なら『奨学金付きの大学院生』。平安時代には、この年齢で死ぬ貴族も珍しくなかった」

 陰陽寮は占いなどを担当する役所で、晴明は40歳のころに一人前の陰陽師に、50歳のころに天文博士になった。

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陰陽寮の機構

 細井さんは、陰陽寮を母体にした陰陽道界の風雲児といえるのは、晴明ではなく師匠の賀茂保憲(やすのり)だったと指摘する。晴明より4歳年上で、40歳のころには陰陽寮トップの陰陽頭(かみ)になっていた。1代で賀茂氏を陰陽道の最有力氏族に押し上げた人物だ。

 晴明は保憲の弟子としてキャリアを重ねた。陰陽師になれたのも、内裏火災で焼損した霊剣を保憲が造り直す際に助手を務めたからだ、と細井さんはみる。

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安倍晴明の生涯

 80代半ばまで生きた晴明は、師匠の死後、30年近くも活動。徐々に位も上がり、時の権力者で45歳も年下だった藤原道長の信頼を得ることができた。「晴明は機を見るに敏で、能力もあったと思います。でも、陰陽道界の大家になれたのは、長生きして亡くなる直前まで現役だったことが大きいんです」

 晴明はなぜ、「神格化」され…

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