清貧の伝道者ヴォーリズ 人気の教師、反感招き解職

寄稿・吉田与志也 筒井次郎
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 全国に印象的な西洋建築を多く残した建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964)。美しく、使い勝手も重視した建物やキャンパスは、近年高く評価されている。

 ヴォーリズは米コロラド州の大学を卒業後、日露戦争中の1905(明治38)年2月、現在の滋賀県近江八幡市にある県立商業学校(現八幡商業高校)の英語教師として来日した。キリスト教不毛の地で伝道することを望み、YMCAが斡旋(あっせん)した派遣英語教師という職を受けたのだ。

 建築家志望だったが、大学2年生の時に参加した海外伝道ボランティアの大会が転機となり、プロの宣教師ではなく、一信徒として伝道に生涯をかけようとした。

 英国発祥のYMCAは、キリスト教精神のもとで健全な青年の育成に取り組む非営利団体。日本では1880(明治13)年、東京で始まった。米国人指導者の来援で、他の都市や大学にも次々と設けられた。

 YMCAは、日本政府から英語教師派遣を求められ、30校近い大学、実業学校などに英語圏の優秀な大学卒業者を派遣した。若い教師たちは課外時間に西洋の文化やスポーツ、聖書などを教えた。

 ヴォーリズが着任した商業学校は、近江商人の活躍もあり、海外交易を目標にする生徒の英語熱が高かった。そこに若くて兄のように接するヴォーリズが登場し、大人気となった。自宅で週2回のバイブルクラス(聖書研究会)を開くと、校内の3分の2の生徒が集まるほどだった。

 彦根と膳所の旧制中学校でも多数の生徒を集めた。来日から10カ月で計19人が洗礼を受けたことは、当時日本に1千人近くいた来日宣教師たちの間でも評判となった。

 しかし、仏教徒ばかりの地元では反発を招き、2年目に教職を解任されてしまった。

 貯金全額をはたいて近江八幡にYMCA会館(最初の設計)を建てたばかりだった彼は、そこを根城に自給自足で伝道を続ける決心をする。その決意に感激した一生徒の吉田悦蔵(筆者の祖父)が、実家の仕送りで共同生活することを申し出た。悦蔵は後に事業の同志となる。

 ヴォーリズは、貧困の中でバイブルクラスを3カ所から5カ所に増やした。1909(明治42)年末からは、若い鉄道員のために「鉄道YMCA会館」(鉄道青年会)を、東海道線米原駅と馬場駅(現JR膳所駅)の駅前に開設した。

 両駅には機関庫もあり、数百人の鉄道員が働いていた。借家をラウンジのようにしつらえ、運営者を雇った。安い会費で文庫やゲーム類の利用、講演会、蓄音機音楽会、相談会などを催し、安らぎの場を提供した。

 欧米ではすでに鉄道YMCAが鉄道員の福利厚生と旅客用ホステルとして定着していたが、ヴォーリズが日本での先駆けとなった。

 今では鉄道YMCAの名残は見当たらない。三浦綾子の小説「塩狩峠」は、北海道の宗谷線・塩狩駅近くで殉職した旭川鉄道青年会所属の一青年の実話をもとにしている。(寄稿・吉田与志也)

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 建築家ヴォーリズはキリスト教伝道者、社会事業家、実業家でもあり、彼のビジョンを継承する財団、学園、病院、製薬企業は、今も近江八幡市で活動を続ける。建築事務所は3都市にある。業績が幅広く、実像を捉えづらい彼の近代史上に残した足跡を、同志・吉田悦蔵の孫である吉田与志也さん(67)がたどる。吉田さんは、ヴォーリズ建築の住宅の原点ともいわれる県指定文化財の吉田家住宅(近江八幡市池田町)の保存にも取り組む。著書に彼の前半生を描き、第33回地方出版文化功労賞を受賞した「信仰と建築の冒険―ヴォーリズと共鳴者たちの軌跡」(サンライズ出版)。(筒井次郎)