両親は日本記録、指導は叔父に任せた 幅跳び橋岡優輝の華麗なる一家
陸上男子走り幅跳びに出場する橋岡優輝(22)=富士通=は、両親が陸上の元日本記録保持者という陸上一家に育った。
ただ、自宅には、両親が手にした数々の賞状やトロフィーは飾っていないし、写真を見せられたこともない。陸上をやるよう勧められたことすらない。
「やっぱりその話になりますよねえ。僕の場合は」
陸上界の「華麗なる一族」の話題をこれまで何度振られても、橋岡はいやがるそぶりを見せない。
「中学の時くらいから両親はどういう存在なのかを聞かれますが、プレッシャーとかはいっさいなくて。恵まれた体に産んでもらったことに感謝しています」
橋岡の父の利行さん(57)は棒高跳びの選手だった。筑波大、NECで活躍し、日本選手権5連覇を含め7度も制した。1986年に5メートル55の日本新記録をマークしている。
母の直美さん(52)=旧姓城島=は埼玉栄高時代に100メートル障害で全国高校総体3連覇を達成した。中京大時代の1989年に100メートル障害で、利行さんと結婚した93年に三段跳びで日本記録を樹立した。
そんな一家だが、橋岡が陸上を始めたのは中学に入ってからだ。「私たちがやりたくてやってきた競技で、優輝には何にも関係ないですしね」と直美さんはさらりと言う。
小学生のころは毎年のように40度の熱を出したり、腸の病気で1カ月入院したりと体が弱く、スポーツに本格的に打ち込むことはなかった。
中学校に入って部活動を選ぶ時、「野球やサッカーは少年団でやっている子たちがすでに上手なので避けて、そこそこ足が速かったから陸上を選んだみたいです」と直美さんは振り返る。
実際、中学2年生までは目立った成績を残していなかった。ところが、「中3になったら、その頃やっていた走り高跳びの記録が大会ごとに伸びて、ああ、この子はバネがあるんだと思った」と利行さん。中学3年生の時、全日本中学選手権の4種競技で3位に入賞する。その頃から2人で試合も見に行くようになった、という。
その跳躍力にほれ込んだのが、東京・八王子高の渡辺大輔監督(46)だった。走り幅跳びで2000年シドニー五輪に出場している渡辺監督は、直美さんの妹良子さんの夫だ。直美さんは「義理の弟がオリンピアンなので任せようと。小学校の時に入院したこともあり、何かあっても弟だったら安心して預けられると思いました」と振り返る。
橋岡は叔父の指導を受けて、飛躍する。高校3年で全国高校総体を制し、初めて出場した日本選手権でも8位に入賞した。現在の活躍の土台を築いた。
橋岡は先月の日本選手権で、今季世界7位にあたる8メートル36の自己ベストをマーク。城山正太郎(ゼンリン)の持つ日本記録にあと4センチと迫った。五輪では、日本選手として同種目の37年ぶり入賞、ひいては1936年の田島直人の銅以来、85年ぶりのメダル獲得の期待がかかる。
また、橋岡ファミリーからは、利行さんの弟和正さんの次男、大樹(シントトロイデン)がサッカーで日本代表に選ばれた。幼い頃から兄弟のように育った2人で、橋岡は「日程的に僕の決勝が先なのでメダルをとってプレッシャーをかけつつ、大樹に良いバトンを渡したい」と話している。
名選手だった両親は、五輪に出場できなかった。ただ、橋岡家悲願の五輪出場か、と言うとそれも違うようだ。「橋岡家と言われると、大げさで、単純に頑張ってという感じ」と利行さんが言えば、直美さんも「親としてというより、自分が競技者だったから、競技者として優輝はすごい選手だなと思うんです。オリンピックに出るだけじゃなくて戦える」。冷静に一人息子を応援している。(堀川貴弘)
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