阿部一二三と詩、そして長兄とめざす頂点 「きょうだい金」の快挙へ

柔道

波戸健一
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 きょうだいともに、柔道の世界王者。日本のスポーツの中で最も多い過去40個の金メダルをオリンピック(五輪)で獲得している柔道界でも、きょうだいで金メダルを獲得した選手はいない。まして2人が畳の上に上がるのは同じ日。阿部一二三(23)=パーク24=と詩(21)=日体大=が25日、初の快挙を目指す。

 幼い頃から、互いに高め合い、支え合い、大舞台にたどり着いた。一二三が「妹に負けていられない。兄らしい姿を見せたい」と言えば、三つ下の詩は「兄を追いかけてきた。やっと同じ舞台に立てる」と奮い立つ。

 ただ、そんな2人が柔道を続けられたのは、もう1人の兄がいたからかもしれない。

 一二三は泣き虫だった。体の大きな同級生や上級生を見るだけで、道場で泣いていた。

 そんな一二三を助けたのが阿部家の長男、勇一朗さん(25)。「ごわごわした柔道着の肌触りが好きじゃなかった」と柔道には興味がなかったが、泣きじゃくる一二三のために一緒に練習に通ってあげた。「お兄ちゃんが入ってくれて心強かったし、柔道をやめたいとは思わなかった」と一二三は回想する。

 一二三は体が小さかった。力も弱いし、技をかけられるとすぐ転がる。最初は女の子にも負けた。

 でも、運動神経は抜群だった。小学低学年で道場の端から端まで逆立ちで歩いて周囲を驚かせた。勇一朗さんという心強い援軍を得ると、一気に柔道にのめり込んだ。

 他の子が休憩していても体を動かし、稽古が終わると「まだやらせてください」と道場の先生に頼み込んだ。それでも体が小さいから、なかなか試合で勝てなかった。

 「阿部が勝ってくれればチームが団体戦で勝てるのに」。通っていた道場ではそんな声も出ていたが、人一倍の努力を見ている先生は「いずれ必ず芽が出る」と信じていた。

 詩は、一二三を追って5歳で柔道を始めた。技を覚える感覚に優れていた。「妹の方が強くなるぞ」と周囲の大人たちはささやいた。でも、詩の柔道には、一二三の存在が欠かせなかった。

 「兄を見て柔道を覚えた。私の柔道スタイルの70%は兄から影響を受けている」と今も詩は言う。負けず嫌いの性格も強くした。「一二三が3キロ走ると、詩も3キロ走ろうとする。最後まで走れないけど、一二三と同じじゃないと気が済まない」と勇一朗さんは懐かしむ。

 2013年9月8日。東京五輪の開催が決まる瞬間、家族でテレビを見ていた。

 一二三は16歳、詩は13歳だった。順調に強くなる2人を見て、父・浩二さん(51)がつぶやいた。

 「2人で出られたら最高やな」

 その言葉に、詩はときめいた。「20歳で東京オリンピックに出て優勝したい」。一二三は「自分の国で金メダルを取りたいな」と思った。きょうだいの夢が始まった。

 一二三の足跡を詩が踏むように、2人は成長曲線を描く。主要大会の講道館杯を制したのは、ともに高校2年の時。国際大会の実績も同じように重ねてきた。「2人で世界一になれる」。自分の背中をぴたり追ってくる詩の奮闘を見て、一二三も確信するようになった。

 そして18年9月に開かれた世界選手権。大会2日目、21歳の兄と18歳の妹が表彰台の頂点にともに立った。一二三は2年連続の世界制覇。詩は初優勝を飾った。国際柔道連盟は「柔道史に新たなページを開いた」と快挙をたたえた。

 盤石に見えた2人の東京五輪への道。しかし、一二三はスランプに陥り、けがも続いた。3連覇をかけた19年世界選手権は優勝を逃し、男女14階級のうち13階級で代表が決まっても、一二三の男子66キロ級だけ代表決定が遅れた。

 一つ負ければ代表落ちする危機を経験した一二三は「気持ちが強くなれた」。苦難に直面した兄をそばで見ていた詩は「勝負の世界の厳しさを感じた」と気持ちを引き締めたという。

 「絶対的な強さで優勝したい」と詩。一二三も「自国開催は運命。勝ちきるしかない」と強気だ。ともに決勝に進めば、詩が最初に金メダルに挑戦する。(波戸健一)