地元の公園で育ち、メダル候補になった少年 スケボー・白井空良選手

スケートボード

荻原千明
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 地元の市立公園で友だちとスケートボードを楽しんでいた少年が、世界ランキング3位のメダル候補として25日、東京オリンピック(五輪)の舞台に立った。

 五輪初採用となったスケートボードの先陣を切って午前10時、男子ストリートが始まった。傾斜のついたバンクから、照り返しの強い真っ白なパークに滑り出し、ハンドレール(手すり)やステア(階段)など街中を模した構造物に飛び乗って技を見せる。

 三方を囲む7千人のスタンドは空席。白井空良(そら)選手(19)はテレビカメラにピースでおどけてスタートを切った――。

 子どものころから滑り込んできたのは、家から自転車で15分の相模原市立の小山公園。受付で名前を書き、ヘルメットがあれば、日中は無料(当時)で過ごせるニュースポーツ広場だった。トップ選手になっても、五輪イヤーだった2020年の初めまで毎日のように白井選手がいた。

 「人懐っこくて、かわいくて」

 同公園管理事務所の内田知子さん(64)はそう話す。根を詰めて練習する感じではない。友だちと遊びながら、スケートボードを走らせていた。

 「見てて!」

 2千平方メートルほどのパークに白井選手の声が響く。国際大会と比べると小ぶりなバンクを滑り降り、ハンドレールに飛び乗る。「友だちに『ヤバイね』『すごいね』って言われるのがスケボーの魅力」

 人は口をそろえた。「あの子は天才だね」。19年、神奈川県寒川町で開かれた世界大会「SKATE ARK」を制した。

 ただ20年2月、左ひざ前十字靱帯(じんたい)断裂の大けがを負う。手術を受け、秋にはスケボーに乗れるようになったが、地元では姿を見かけない日が増えていった。

 白井選手はいったいどこへ。もう一つ居場所を見つけ、さらなる飛躍を目指していた。

 運転免許を取ると同時に購入したBMWで向かうのは、寒川町のガレージ群だった。その一つを改修し、同11月にオープンした「THE PARK SAMUKAWA」にいた。

 「見ててください!」

 注目を求めるところは同じ。「ずっと見てなきゃいけない」と苦笑いするオーナーの内野洋平さん(38)がいつも隣にいた。BMXフラットランドで世界タイトルを11回獲得した選手だ。

 米国に拠点を置く選手も少なくない中、白井選手は「英語もできないし、海外は落ち着かない」と話してきた。内野さんは白井選手に設計段階から声をかけ、国内でまれな屋内コンクリートパークを1千万円以上の私費を投じて整備した。

 白井選手は、期待を力に変える子だった。「次、決めます」と宣言してやり遂げる。内野さんは、集中力と勝負強さに舌を巻いた。一方、心の声を口に出す幼さもあったという。「もうだめ」「やめたい」と叫んでスケートボードの板を折る。積み上がった板は20枚近くになった。

 内野さんは「折ったところで何も始まらないよ」と諭した。白井選手の寒川通いはほぼ毎日になり、「この人がいるから」と今年5月に寒川町に引っ越した。

 白井選手は内野さんから、練習での目標設定やルーティンの大切さを学んだ。練習時間は長く、濃く、体が悲鳴をあげるようになった。いつの間にか、スケボーの板は折らなくなっていた。

 「人生が変わると思う」と、自信と手応えを感じて迎えた五輪だった。ただ、結果は予選9位。上位8人の決勝に届かなかった。

 「全部自分の問題だと思います」。白井選手はうつむいて、会場を後にした。(荻原千明)