ソフト・我妻悠香、扇の要の存在感 上野の変化球、最初は捕れなくて

ソフトボール

井上翔太
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 無観客の横浜スタジアムに、我妻悠香の声が響く。

 「上野さん、コースだけ」「広く! 広く!」

 ソフトボールの1次リーグ第4戦。カナダを相手に、四回1死一塁の守備では、上野由岐子のショートバウンド投球をはじいた。だが、二塁を狙った走者を強肩で刺し、ピンチの芽を摘み取った。

 小学6年でソフトボールを始めたときから、捕手一筋。きっかけは「チームに入ったとき、入れ替わりで捕手がいなくなった」からだった。学生時代は「配球が分からなくて、毎日、先生から怒られてました」。

 2013年、ルネサスエレクトロニクス高崎(現ビックカメラ高崎)に加入。08年北京五輪の優勝バッテリー、上野―峰幸代(現トヨタ自動車)が、チームの先輩になった。

 すべてを参考にした。「最初は峰さんの全てをまねしました。捕球も、送球も、声の出し方も。だって全日本の捕手が手本として、いてくれるんですよ」

 初めて上野の球を受けたときは、横に動く変化球が捕れなかった。「変化の量がすごかったです。『こんなに動くんだ!』と」

 峰がチームを離れた15年から、出場機会が増えた。「変化球は、2ストライクまで捕れなくていい。追い込んでからは、『捕れる球でどう抑えるか』を考えていました」

 上野は「打たれることで学んでほしい」と、あまり首を振らなかった。「思ってることは、あるんだろうな。ストレスをためてるんだろうな」と我妻。それでも若いうちから経験を積むことで、捕れる球種も増え、相手打者との駆け引きもできるようになった。

 今では「自分は、こう思ったんですけど、どうでしたか?」と自分から上野に意見を伝える。「最初はぎくしゃくでしたけど、少しずつ理解し合って、会話が成り立つようになってきました」

 日本代表の宇津木麗華監督は、捕手を「グラウンド上の監督」と呼ぶ。我妻も、そこに捕手としての楽しみを見いだしている。

 「相手打者のバランス、力が入っているポイントを見ながら、狙い球を探るんです。試合全体を動かしている感覚。昔はあんなに怒られていたのに、今は捕手って面白いんだなと。我慢して続けてきて、よかったです」

 この日は上野の球を6イニング受け、後藤希友もリードした。「大事な場面で、自分が任されているというベンチの思いをくんで、プレーしています」。日本代表の扇の要として、欠かせない存在だ。井上翔太

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