「怪物になりたい」と言い続けた阿部詩 1ポイントも与えず頂点に

柔道

波戸健一
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 試合開始から8分が過ぎようとしていた。

 相手のアマンディーヌ・ブシャール(フランス)の技が決まらず、体勢が崩れた。東京オリンピック柔道女子52キロ級の阿部詩が渾身(こんしん)の力で抑え込む。

 相手に反撃する力は残っていなかった。

 金メダルへ、20秒のカウントダウン。試合終了のブザーが無観客の会場に響いた。

 「この大会だけを目指して努力してきた。努力がやっと報われた」

 詩は両腕を突き上げ、号泣した。

 兄譲りの超攻撃的な柔道が持ち味だ。技の引き出しも多い。高校まで「一番嫌いだった」という寝技も大学生になって格段に進化。決勝で生きた。

 「立って良し、寝て良し」の卓越した強さに通じるカギが、相手と組み合う瞬間にある。

 兵庫・夙川学院高(現・夙川高)時代から指導している垣田恵佑さんは言う。

 「相手が組もうとする瞬間に、詩はパッと手を袖に引っ掛けて技に入る。あの速さで入られたら相手は逃げられない」

 準決勝のオデッテ・ジュフリダ(イタリア)戦。リオデジャネイロ五輪銀メダルの実力者に手を焼いた。

 だが、持ち味が存分に出る。延長3分過ぎ、組み合った瞬間に、詩の右足がジュフリダの股の間をはね上げていた。

 詩のいる52キロ級は、柔道女子が公開競技として始まった1988年ソウル五輪から8大会で、92年バルセロナ五輪の溝口紀子らの銀メダルが日本勢の最高だ。女子7階級で唯一、日本勢が五輪の頂点に立てていなかった階級だった。

 「怪物になりたい」と詩は言い続けてきた。

 前人未到の記録もまた、詩にとってモチベーションだった。

 「東京五輪で優勝して、子どもたちに一歩を踏み出す勇気を見てもらいたい」

 4試合すべて、反則勝ちではなく、技で決着させた。その上、相手に一度もポイントを与えなかった。完勝の金メダルで日本の柔道史に名を刻んだ。

 20歳で迎える予定だった東京五輪は、コロナ禍で1年延びた。走り込むだけの日々の中、柔道がまた好きになった。

 「もっと努力して、素晴らしい金メダリストになれるよう頑張りたい」

 まだ21歳。怪物の物語は始まったばかりだ。(波戸健一)