作新学院の優勝を見て「作新を倒す」 佐野日大に進んだ
(25日、高校野球栃木大会決勝 作新学院3-2佐野日大)
バントのスペシャリストに好機が回ってきた。1点を追う五回2死二塁。今大会の佐野日大の増山渉太主将(3年)は打率1割5分4厘で、決して調子はよくなかった。
「多少のボール球でも思い切り振り抜く」。自分にハッパをかけ、気合を入れた。変化球をしっかり引きつけ、曲がり際を引っ張った。二塁走者の川崎大也選手(3年)が生還し、同点に追いついた。
中学時代は下野リトルシニアで硬式野球に打ち込んだ。2016年夏の甲子園で全国制覇した作新学院の活躍を見て、「作新を倒す方に回りたい」と父敬一さん(43)に宣言した。打倒作新を胸に佐野日大に進学した。
学校まで1時間ほどだったが、1分でも長く練習したいと寮生活を選んだ。黙々と練習を続ける姿がチームメートの信頼を得て、主将に推された。
今大会、増山主将はミスなく送りバントを決め、9犠打を積み重ねた。準決勝の文星芸大付戦では、1点を追う九回1死から、きっちり送りバントを決め、逆転に導いた。
春の県大会決勝で作新学院を破ったが、夏の壁は高かった。逆転を信じて最後までベンチから声をかけ続けたが、相手の堅守を崩しきれなかった。
試合後、作新学院の優勝インタビューをベンチで聞きながら、涙がこみ上げてきた。「全力を尽くして負けた。悔いはない。両親には迷惑をかけたけど、少しでも恩返しができたかな」(平賀拓史)
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佐野日大には誰もが「大黒柱」と認めるエースがいた。春の県大会まで背番号1を背負っていた左腕の早乙女左恭(さきょう)選手(3年)。大会途中で左ひじの靱帯(じんたい)を痛め、投球できなくなった。
夏の大会では背番号1は大門稜平投手(3年)が引き継いだ。「左恭の分も夏に向けて頑張っていこうと投手陣で話し合った」。大門投手は、この日も延長戦に入れば登板するつもりで準備をしていた。夏は総力戦だった。
鈴木空投手(2年)は3試合目の先発だった。「五回くらいまで投げて後に託すのが自分の役割」とマウンドに立った。四回から継投した左腕の佐久間結人投手(2年)は「緊張したけれども、先輩の野手に助けられて戦えました」。この日の登板はなかったが、4試合で投げた畑大稀投手も2年生だ。
八回からマウンドに立った斎藤怜投手(3年)は「2年生にはきつい場面もあったと思うが、誰もが役割を果たしてくれた。3年部員23人が1人も辞めずに最後まで続けたことと同じくらいうれしい」と頼もしい後輩たちをたたえた。
背番号7を付けた早乙女選手は「仲間がここまでやってくれたことがうれしい。早くひじを治して、これからも投手を続けます」と語った。
麦倉洋一監督は「早乙女が抜けた時、どうしようかと思ったが、2年生が育ってくれました」。(根岸敦生)