指導者がいない、砂利混じりの駐車場 サッカー森保監督、指導の原点

サッカー

勝見壮史
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 指導者はいない。砂利交じりの駐車場の一角を陣取り、ゴール代わりに空き缶を二つ置いた。片方のチームは上着を着て、片方は上半身裸でボールを追った。

 ブラジルなどでよく見られるストリートサッカーみたいな光景だった。サッカー男子日本代表の森保一監督は、自身の中学時代を笑いながらこう回想する。「どういう世界よ、って感じで。現代の子どもたちには全く想像できないでしょうね」

 日本代表と五輪代表を兼任する指揮官だが、エリート街道とはほど遠いサッカー人生を歩んできた。「ポイチ」の愛称が広がったのは、日本代表メンバーに初選出された時も「モリ・ポイチ」と読み間違われたことが由来なのは語り草だ。

 指導者としての原風景は、成長期の中学時代に多くの時間を過ごした練習場にある。そう、地面が凸凹だった思い出の駐車場だ。

 小学校時代、長崎市の少年団で全国大会に出場した。ただ、進学先の中学校にサッカー部はなかった。あきらめてハンドボール部に入ろうとしたら、父洋記さん(79)らが学校に掛け合ってくれ、中2の時にようやく部ができた。

 近くの実業団の選手が時々教えに来てくれたが、基本は自分たちで練習メニューを作った。「どうやったら、うまくなれるか」。練習環境は恵まれていなかったが、自分たちでメニューを考え、工夫する日々は、とにかく楽しかった。

 「主体的に好きなことをやれる喜びがあった。そこが一番よかった」

自分で考えるからこそ、サッカーは楽しい

 攻守が目まぐるしく入れ替わるサッカーでは、ベンチの指示を待っていられない。なにより、自分で考えてプレーするからこそ、サッカーは楽しい。MFとして日本代表まで上り詰めた現役時代も、35歳で指導者になってからも、思いは一緒だ。だから、選手をピッチに送り出すときのセリフは決まっている。「自分の持っている特長を、思い切って発揮して欲しい」

 球を持ったらできるだけ早く前にパスをつなぐこと、守備はできるだけ敵陣から球を奪うこと。基本方針はあるが、選手に押しつけない。「ピッチ上での選手の判断が第一なので」

 1993年、ワールドカップ初出場をあと一歩で逃した「ドーハの悲劇」を経験した。結果が全て、と身をもって知る。子どもたちのサッカー教室のコーチから始め、結果が求められる監督が生業(なりわい)になった。それでも、と思う。「選手にサッカーを楽しいと思ってプレーしてもらうこと。そこが指導者としての原点です」

 迎えた東京五輪は、現在2連勝。22日の初戦は、新型コロナウイルスの陽性者が出て調整不足だった南アフリカが徹底的に守備を固め、日本から見れば不可解な判定もあった。それでも、選手たちはピッチ内の状況を見極めてプレー。「イライラせず、声かけをしながら、前向きに戦ってくれた。みんな成長しているなと、たくましく、うれしく思いながら、試合を見ていました」

 息子自慢でもするように、ほおが緩んでいた。(勝見壮史)