侍ジャパン伊藤投手、小6で決めた本盗 強さの原点見る

野球

三木一哉
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 東京五輪野球日本代表侍ジャパン」に追加招集されたプロ野球日本ハムドラフト1位ルーキー・伊藤大海(ひろみ)投手が28日、初戦を迎える。出身地の北海道南部の鹿部(しかべ)町では、野球を始めたころの伊藤投手を知る人たちが、五輪のマウンドに立つ姿を心待ちにしている。

 プロ野球は前半戦を終え、伊藤投手は13試合に先発して7勝4敗、防御率2・42。好調さを買われて代表に抜擢(ばってき)された。駒大苫小牧高で選抜大会に出場し、苫小牧駒大(現・北洋大)では大学日本代表として国際舞台を経験した。その原点が鹿部町にある。

 「速球で三振を奪うのではなく、丁寧な制球力で打たせて取るタイプだった」

 そう振り返るのはスポーツ少年団「鹿部クラップーズ」でコーチを務めた消防職員の山上裕之さん(61)。小学2年で入団した伊藤投手の主なポジションは中堅手。足が速かったからだ。同学年にもっと体の大きい選手がいて、投手としては2、3番手だった。

 クラップーズとはcrabs(カニ)のこと。子どもたちがグラブを掲げてフライを追う姿から、その名がついた。「大海君もそうやってボールを追っていた。小さなチームだったので、幼いうちからどんどん試合に出した。本番に強い彼の土台になっているのでは」。並ではない野球の素質を感じたのは、小6の全道大会。ノーサインで本盗を決めた。「走るチャンスをじっと探る観察力、果敢に実行する決断力と集中力に脱帽した」

 コロナ禍のため球場で応援できず、地元でパブリックビューイングも開けそうにない。山上さんは「コロナで五輪が1年延期になったからこそ、彼にもチャンスが回ってきた。どんな場面でも登板したら活躍してほしい」と期待する。

 少年団のあと、伊藤投手は函館市のシニアリーグチームで野球に打ち込んだ。漁師の父清光さん(51)と幼稚園勤務の母正美さん(51)は、送迎などで支えた。

 「幼稚園の七夕の短冊に『野球選手になりたい』と書いてたんですよ」と正美さん。試合でのプレーを記念にしたい、とスコアブックの付け方を身につけた。

 清光さんは、鹿部町出身で元横浜ベイスターズの故・盛田幸妃(こうき)投手とは中学時代の同級生。自身は野球に打ち込んだわけではないが、毎日のように伊藤投手のキャッチボールや守備練習に付き合った。「体格で劣る分、よく考えて練習をしていた。私たちも、子どもの成長を一緒に楽しんだ」と振り返る。

 ひのき舞台に向け、正美さんは「とにかく、けががないよう、いい状態で試合に出てほしい」、清光さんは「厳しい場面で起用されるだろうから、勢いのある投球を見せてほしい」と願っている。(三木一哉)