国際化はこの選手から始まった 1964年の柔道着展示

柔道

竹園隆浩
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 1964年東京オリンピック(五輪)で、多くの人が驚きの視線を浴びせた柔道着が再び東京に帰ってきた。

 柔道は前回の東京五輪で、五輪に初採用された。威信をかけた無差別級決勝。日本の神永昭夫を破って金メダルを獲得したのがアントン・ヘーシンク(オランダ)だった。

 その試合で身につけていた柔道着を東京のオランダ大使館で展示すると聞き、訪ねた。198センチ、120キロだった等身大パネルを包む道着は、傷みが少なく、真っ白に洗濯されていた。

 そこには「ヘーシンク」とカタカナで刺繡(ししゅう)され、日本製を示すメーカーのロゴも残っている。親日家でもあった彼の柔道への深い愛着が感じられた。

 柔道精神を象徴する話がある。優勝が決まった瞬間、感極まった観客が畳に駆け上がろうとした。大使館のテオ・ペータス全権公使によると、それは選手村で一緒だったオランダのボクシング代表選手2人だったという。ヘーシンクは手で彼らを制止し、畳を降りるまで礼を尽くした。

 柔道の精神を大切にする一方、国際化を進めたのもヘーシンクだった。64年は白い柔道着2人の対戦だったが、2000年シドニー五輪以降は一方が「青」を着るカラー柔道着が採用されている。引退後、国際オリンピック委員会(IOC)委員をしながら「見る人に分かりやすく、審判の誤審も防げる」とヘーシンクが提唱したものだった。

 華麗な技を誇る「柔道」が、形にこだわらない「JUDO」に様変わりしたと言う声は根強い。しかし、ヘーシンクをはじめとする外国勢の情熱が無ければ、72年ミュンヘン大会以降、五輪に定着する発展はなかったかもしれない。64年は27カ国・地域からだった参加が、今回は128カ国・地域。約400人の柔道家が出場する今大会を見て、日本から羽ばたいたスポーツが新しい時代を迎えたのを感じた。

 コロナ禍のため、大使館では29日からオンライン(https://nlinjp.com/NL-Tokyo2020別ウインドウで開きます)で公開している。(竹園隆浩)