江田五月氏死去 悼む菅直人氏ら「市民の政治つくった」

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鬼原民幸、三輪さち子

 参院議長、法相や旧民主党最高顧問などを務めた江田五月(えだ・さつき)さんが28日8時36分、肺炎のため岡山市内の病院で死去した。80歳だった。通夜・葬儀は近親者のみで行い、後日「お別れの会」を開く。弔電・香典・供花は辞退している。

 江田氏は東京、千葉地裁などで判事補を務めた後、父で元社会党委員長代行・三郎氏の急逝を受け、1977年の参院選旧全国区で社会市民連合から初当選。翌年に故・田英夫氏や菅直人元首相らと社会民主連合を結成し、83年には衆院旧岡山1区で当選した。

 菅元首相は朝日新聞の取材に「社民連の旗揚げから一緒だった。公平にものを見る人で、常に私の兄貴分。立憲民主党につながる『市民の政治』の第一歩をつくった人」と悼んだ。

 92年に社会党若手議員らと「自民党に対抗する勢力をつくるための政策集団」として「シリウス」を結成した。96年に岡山県知事選に出馬(落選)した後、98年に民主党から参院岡山選挙区で再選。07年参院選で民主党が大勝し、衆参両院で与野党の多数派が異なる「ねじれ国会」となり、議長に就任した。11年に法相に就任し、在任7カ月の間、死刑執行に署名しなかった。リベラル派の重鎮として、党憲法調査会長も務めた。

 江田氏が議長だった時期に衆院副議長を務めた横路孝弘氏は、司法修習の同期でもある。東大入学時、江田氏から誘われ、学生運動に明け暮れた。朝日新聞の取材に「よく一緒に(宣伝のための)ビラ配りや寮回りをした」と述懐。コロナ禍で最近は会えていなかったといい、「また2人で憲法の重要性、いまの改憲論の問題点を広める活動をしたいと思っていた。大きな人を亡くした」と悔やんだ。

 立憲の枝野幸男代表は28日…

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