第3回ビザ取得に5年 安住の地のはずが・・渡米後も続く苦悩

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米コロラド州ノースグレン=藤原学思
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協力の代償 アフガン米軍通訳の証言③ デザイン・北谷凜
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 5年かかって特別ビザを取得し、米国にやってきた。ただ、ラミシュ・ダルウィシさん(32)は、「アメリカンドリーム」とはほど遠い生活を強いられている。米国に協力したアフガニスタン人の元通訳たちはいまも、戦争の意義を見いだせていない。

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2001年の米同時多発テロを受け、米国は容疑者をかくまっているとしてアフガニスタンを攻撃し、タリバーン政権を崩壊させました。米軍は駐留を続け、多くのアフガン人通訳が重要な役割を果たしました。だが、反政府勢力となったタリバーンからみれば、通訳は「敵の協力者」。報復の脅威にさらされている彼らの今を伝えます。

 米軍がアフガニスタンからの撤退を進める7月下旬、ダルウィシさんはコロラド州のアパートで、妻と引っ越しのための荷造りをしていた。「家賃が払えず、立ち退きを求められた」。支払いの締め切りは8月1日。だが、行き先はまだ決まっていない。

 ダルウィシさんは1989年、アフガン南部で、9人きょうだいの5番目として生まれた。母語は、アフガンの公用語の一つであるダリー語。だが、もう一つの公用語であるパシュトゥー語や、ウルドゥー語も操る。

 父親は医師であり、教師でもあった。自らは高校卒業後、大学に通いながら英語を教え、また、父のクリニックで看護師としても働いていた。「血には慣れていたつもりだった。だが、戦地のそれは違う。即席爆弾で体がばらばらになる。私の親友も両脚を失い、その後で亡くなった」

 米軍の通訳として働き始めたのは2011年。「国のためになりたい」。そんな思いがあった。給料もよく、兄がアフガン軍にいたことも影響した。

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米陸軍特殊部隊の隊員に彫ってもらったタトゥーを見せる元米軍通訳のラミシュ・ダルウィシさん=2021年7月20日、米コロラド州ノースグレン、藤原学思撮影

 13年には右の二の腕にタトゥーを入れた。アフガン第2の都市、カンダハルで米陸軍特殊部隊(グリーンベレー)と働いていた際、隊員の一人が彫ってくれた。剣が炎に包み込まれている。「常に戦いのさなかにいる。そんな意味がある。実際、そうだった」

記事後半では、激しさを増すタリバーンの脅迫を受けたダルウィシさんの決断を紹介します。故郷を離れてからもアフガニスタンに対する郷愁を抱えつつ、日本への思いも語ります。

 19年まで8年間、通訳とし…

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連載協力の代償 アフガン米軍通訳の証言(全3回)

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