たった1人の「被爆オリンピアン」 カメラに収めた平和

有料会員記事核といのちを考える

福冨旅史
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 腕を組み、ほほ笑みながら平和記念公園を歩く米国人夫婦の背後には、原爆で犠牲になった人たちの慰霊碑が見える。原爆投下から13年後の1958年に撮られた写真のタイトルは「平和への道」。撮影したのは、自らも被爆した元五輪選手(オリンピアン)だった。

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高田静雄さんの代表作「平和への道」。観光で来ていた米国人夫婦にその場で声をかけたという=1958年、広島市の平和記念公園、高田敏明さん提供

 笑いながら馬跳びをする高校生やシャベルでホッピングのまねをする女子生徒――。この夏、広島市の美術館で写真家、高田静雄さん(1909~63年)の作品展が開かれている。広島の「原爆の日」と東京五輪の日程が重なる今年、孫で写真家の敏明さん(58)が、祖父の故郷で初めて企画した。「思いっきり体を動かせる平和を感じてほしい」と話す。

「砲丸王」の人生を変えた一発の爆弾

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高田静雄さんの作品「ホッピング」。女子生徒でも笑顔で運動ができる戦後の幸せを写した=広島市の鈴峯女子高校(現・広島修道大学ひろしま協創高校)、高田敏明さん提供

 高田さんは、陸上の砲丸投げ選手として、18歳から日本選手権を6度制し、「砲丸王」の異名をとった。36年のベルリン五輪に出場。予選で敗退したが、欧州各国での親善試合にも招かれる名選手だった。

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砲丸投げの選手としてベルリン五輪に出場するなど活躍した高田静雄さん=1934年、高田敏明さん提供

 だが、原爆が人生を一変させた。当時のことを、後にラジオで語っている。

 競技を引退後、広島市で中国配電(現中国電力)の社長秘書として働いていた。45年8月6日朝、「外にコーヒーを飲みに行こう」と同僚に誘われたが、「仕事を片付けてから行きます」と断った。原爆が落とされたのは、その数分後だった。

「自分も野良犬のように、何をしたら良いかわからずさまよっていた」。そんな失意の高田さんが撮影したものとは。記事の後半では、数々の作品を交えて物語を進めます。

 爆心地から約680メートル…

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被爆者はいま、核兵器と人類の関係は。インタビューやコラムで問い直します。[記事一覧へ]