「かっけぇ」から赤髪にした柔道家 異国のコーチで知る五輪の厳しさ

柔道

塩谷耕吾
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 18年ごしの夢舞台は、あっけなかった。

 東京オリンピック(五輪)柔道女子63キロ級2回戦。日本武道館のコーチ席に座った矢崎雄大(41)は、開始38秒で相手選手の勝ち名乗りを聞くと、一礼して畳に背を向け、つぶやいた。

 「これが五輪か……」

 畳の上にいたのは、山梨・富士学苑高での教え子だった渡辺聖未(きよみ)(24)。母の母国フィリピン代表として五輪出場を果たし、矢崎も同代表のコーチとして同行した。

 その初戦、開始早々に渡辺がスペインの選手にともえ投げを仕掛けて背中を畳につけたが、それが相手の技で倒されたと判断された。

 一本負け。

 厳しい結果だった。

   ◇

 現役時代、男子90キロ級で活躍した矢崎の名が世間を騒がせたのは、2003年に大阪で開かれた世界選手権だ。

 「サッカーが好きで、日韓W杯で髪を赤く染めていた戸田(和幸)、かっけえな、と思って」と髪を真っ赤に染めて登場した。

 礼節を重んじる日本柔道界では前代未聞のこと。物議を醸した。

 「若さだけで突っ走っていた。世界選手権で優勝して、五輪でメダルとって、総合格闘技に行く。そういうイメージ」

 柔道の稽古の傍ら、キックボクシングの練習にも精を出していた異端児。だが、この世界選手権で3回戦で敗れると、04年アテネ五輪の代表争いに敗れた。08年北京五輪も逃すと、「柔道をやめられなくなった」。

 現役の晩年に大学に通って教職免許を取得。11年に引退すると、富士学苑に赴任した。

 そこで出会ったのが、渡辺だった。神奈川県の強豪として有名な相原中で補欠だった渡辺を猛練習で鍛えた。

 「絞め、関節、抑え技と、自分の寝技の技術はすべて伝えた」

 高校3年時に高校総体2位。フィリピン代表の可能性があると知ると、異例のルートをたどり、師弟で日本武道館にたどりついた。

 「もし自分が五輪に出ていたら、柔道とはきれいさっぱり離れていた。五輪への未練が柔道への未練。忘れ物を取りに戻る感じ」

 試合前、アップに励む各国の代表選手の気迫に、かつて自分が経験したどの国際大会とも違うものを感じた。

 「完璧な準備をして初めて、勝てるかどうかの土俵に乗れる。勝負の厳しさを痛感した」

 渡辺だけでない。自分自身の指導者としての準備も足りていなかった。

 渡辺は1年前にひざを負傷し、万全の状態ではなかった。試合後、悔し泣きの渡辺に言った。

 「パリに連れて行ってくれ。次はメダル候補として行こう」塩谷耕吾