第3回家族に隠した傷、支援者絶句 「枠外」だった在韓被爆者

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榎本瑞希、武田肇
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 狭い路地に、約600の店舗がひしめく韓国・釜山の国際市場。その一角にあるボイラー修理店「セファ商会」に、金文成(キムムンソン)さん(83)は毎日杖をついてやってくる。壁には日本語学習のための「漢字表」。2坪余りの店は生計の場であり、家族にも隠した被爆の傷を日韓の高校生に語ってきた場でもある。

 7歳のあの日、兄のこぐ自転車の後ろに乗っていて広島市山手町(現西区)で原爆の熱線を浴び、吹き飛ばされた。爆心地から2・2キロ。「左半身でやけどをしなかったのは上腕だけです」。薬はなく、すり下ろしたジャガイモを塗って痛みに耐えた。

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核被害 愛する人が倒れた グローバル・ヒバクシャの真実

 当時の日本の植民地統治を背景に来日した父は4歳のときに亡くなり、終戦とともに朝鮮半島南部の母の故郷へ。夜間中学を経て20歳で高校を卒業し、26歳で結婚。被爆の傷を「家族に見られるのも恥ずかしい」と、妻子が寝静まってから包帯を交換し、左足にできた腫瘍(しゅよう)をはさみで切った。ただれた頭皮を隠すため、かつらをかぶって生活した。40代で自分の店を持てた。

広島で被爆して約半世紀、病院で治療を受けてこなかった金文成さん。金さんは、ある取り組みで長崎の病院で治療を受けることになります。記事後半では、なぜ金さんは治療を受けることが出来なかったのか、また、日韓両国の非核に向けた協同の動きを紹介します。

 被爆から45年経った199…

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