メダルなしでも大坂なおみが残した、東京五輪のレガシー

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朝日新聞デジタル編集長・伊藤大地
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メディア空間考 伊藤大地(朝日新聞デジタル編集長)

 大坂なおみ選手が、五輪の聖火台に火をともした。政府や組織委をめぐるゴタゴタが、これでチャラになったわけではない。しかし、画期的な一瞬であったことは、間違いない。それは、トップ選手だからでも、女性だからでも、多様なバックグラウンドを持つからでもない。メンタルの不調を訴え、一時、競技から離れたアスリートが代表したことに、意義があった、と私は思う。

 大坂選手は5月、全仏オープンを棄権。自らのツイッターでメンタルの不調と、会見の対応が心理的負担となっていることを訴え、コートから離れていた。東京五輪はその復帰戦だった。

 プロスポーツにおいて、メディア対応は選手の仕事のうち。その点は大坂選手を含め、多くの選手が認めている。しかし大坂選手が提起した問題の論点はそこではない。トップアスリートであっても、アスリートとして以前に、人間として尊重してほしい、ということだった。

 私たちはアスリートを讃(たた)えていたつもりだったが、それが苦しみの原因となっていたとしたら。オリンピアンともなれば、生まれつきの才能に恵まれ、壮絶なトレーニングに耐え、強靱(きょうじん)なメンタルを備えた、宇宙人のように扱われることも多い。観戦する多くの人々も、企業も、すべてを競技のために犠牲にする姿を、前提のように共有し、「アスリート物語」として消費する。五輪やサッカーW杯のように、4年に1度、国の代表として戦う国際舞台ならなおのこと。私たちメディアはアスリートの冠辞に「超人」やら「ストイック」やら、そんな言葉をどれだけ使ってきたことか。

 「大坂選手が上げた声は、世界を変えている」

 確信した出来事があった。

 米国体操女子のスター、シモ…

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