退路断った原沢久喜、無情の5位 日本の最重量級に課せられた宿命

柔道

波戸健一
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 「最強の柔道家」の称号は、手にできなかった。

 30日にあった東京オリンピック(五輪)柔道男子100キロ超級。原沢久喜(29)は準決勝で、優勝したルカシュ・クルパレク(チェコ)に敗れた。3位決定戦では、5年前のリオデジャネイロ五輪決勝で敗れたテディ・リネールフランス)を相手に、指導を3回とられ、反則負けした。

 銅メダルをかけたリネール戦。「すべて出し切ってこい」と井上康生監督から送り出された。

「使命全うできれば」 挑んだ試合、残した敗戦の弁

 組み手の攻防で完敗し、リオ五輪と同じ指導による決着。「力の差を埋められずに残念です」と肩を落とした。

 およそ半世紀前、1964年東京五輪。今回の会場と同じ東京・日本武道館で、軽量級を中谷雄英、中量級を岡野功、重量級を猪熊功が制した。

 だが、最後の無差別級の決勝で、神永昭夫が「オランダの巨人」と呼ばれたアントン・ヘーシンクのけさ固めに散った。新聞は「神永、気の重い銀メダル」と報じ、「日本柔道の敗北」という批判が神永に浴びせられた。

 「当時の日本柔道からすれば、海外選手に負けたのはすごく衝撃的な出来事だったんだろうな」

 試合の映像を見た原沢は思ったという。神永の沈痛な表情を見て、先人が背負っていた重圧が痛いほど伝わった。

 原沢は誰もが認める実直で真面目な性格だ。

 5年前のリオ五輪では、試合を控える原沢に、かつての指導者や先輩から毎日のように激励や助言が携帯電話に届いた。原沢は全部を読んで、一つ一つ丁寧に返信した。

 そんな生真面目さが災いしたか。リオ後は、身も心も柔道に向き合えない日々が続いた。

 20%を切っていた体脂肪が25%に上昇し、階段を上がるだけで息切れした。顔がむくんで心拍数も異常に高い数値だった。「心臓が苦しい。病気かも」と不安を漏らすこともあった。

 医師の診断は「オーバートレーニング症候群」だった。血液検査肝機能の数値が悪かった。稽古を2カ月休んだ。

すべては東京五輪のために

 食事、睡眠、呼吸法を見直した。栄養士に食卓の写真を毎日送って指導を受け、野菜のスムージー作りが日課になった。

 すべては東京五輪のために――。18年春に所属先の日本中央競馬会を退職。「終身雇用に甘えず、退路を断ちたい」との思いからだった。およそ1年かけてスポンサーを探した。

 山口県下関市出身で縁もゆかりもなかった百五銀行三重県)が所属先になるまで、無収入の時期は貯金を取り崩し、天理大での出稽古はホテルでなく、天理教の詰め所で寝て節約した。その分、海外遠征にトレーナーや栄養士を自腹で同行させ、柔道に全てを費やした。

 「勝って賞金を稼がないといけない」。記者に笑って飛ばした冗談は半分本気だった。

 「1964年からのつながり、色んな人の思いを背負って、戦って、使命を全うできればいいと思う」。

 その思いで挑んだ東京五輪。5位という無情な結果で重圧から解放された原沢は「応援してもらって、支えてもらって幸せだった」と言って続けた。

 「ただ、結果という形で恩返しできなかった。悔いが残る」

 絞り出した敗者の弁は、最重量級の日本選手に課せられた宿命を示していた。(波戸健一)