馬術一家が挑む3度目の五輪 礎築いた「馬乗り和尚」

馬術

遠藤和希
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 8月3日から始まる東京五輪・障害馬術に、佐藤英賢(えいけん)選手(35)が登場する。兄も五輪に出場し、妹も全国優勝を果たした馬術一家の出身だ。その礎を築いたのは、住職を務める寺の裏山に乗馬施設を造り、地元で「馬乗り和尚」とも呼ばれる父だった。

 佐藤選手の実家、長野県小川村の明松寺の裏山には、約27ヘクタールの敷地に馬場、クラブハウス、練習コースといった馬術の施設がある。日本代表が合宿に使うほどの充実ぶりだ。「『俺にもできるかも』って、『馬にかかわっていきたい』って思って将来を決めたんだ」と佐藤選手の父、正道(しょうどう)さん(70)が語った。

 話は、57年前にあった前回の東京五輪にさかのぼる。長野県内にも競技会場があり、それが軽井沢町総合馬術。中学生だった正道さんは、90キロ離れた軽井沢まで近所の人とトラックに相乗りして見に行き、そこで馬術競技に魅せられた。

 調教されたピカピカの外国馬に、洗練された服で体形までスラッとした外国選手たち。「服装から、馬、技術に至るまで、ここまで違うものかと衝撃を受けた」と当時を振り返る。

 馬は自宅で飼い、乗り物としても使う身近な存在だった。大学に進み、念願だった馬術競技を始める。その時、技を磨きたいと、檀家にブルドーザーを借りて自ら裏山に造ったのが総合馬術の種目の一つ、クロスカントリーのコースだった。それから、競技用の段差など少しずつ山を切り開いて整備していった。

五輪が手に届くところまで近づいたが…

 努力が実り、正道さんは日本代表候補にまでなった。「ナショナルチームにいた時は皆で寺で合宿もした。住職だから朝の座禅の時は警策(きょうさく)を持ってね」という。五輪が手に届くところまで近づいたが、日本は政治的理由で1980年のモスクワ五輪をボイコット。夢はついえた。

 思いは3人の子が引き継いだ。小学校から帰ると、すぐに裏山へ。「習うより慣れろで、馬に何でも教えてもらう生活」(正道さん)を過ごし、選手として県大会、北信越大会、全国大会と活躍のレベルを上げていった。

 そして2008年、佐藤選手が障害馬術で北京五輪出場を果たした。続く12年のロンドン五輪では兄の賢希(けんき)さん(37)が総合馬術の代表に。妹の泰(たえ)さん(33)も全国大会優勝の経験がある。「家族で『1人くらい五輪に出ようぜ』って話になって、そしたら2人も出た。(馬術との関わりは)軽井沢から始まったけど、五輪には本当に縁がある。人生何があるかわからない」と正道さんは笑う。

 小学生で馬術を始めた佐藤選手の勉強熱心な姿が、印象に残っているという。馬術の本場、ドイツから知人が送ってくれた当時の世界選手権の大量のビデオテープを、全てすり切れるほど見ていたそうだ。「優勝した馬がどうして速いのかって常に考えて研究していた。小さい体だけど世界と戦うんだから」

 佐藤家にとって3度目の五輪。正道さんは、まずは無事のゴールを祈りつつ、北京を上回る決勝ラウンド進出を期待している。今年、長野県の国体チーム監督に就いた泰さんも「英賢は尊敬できる選手。これまでの思いをぶつけて臨んでほしい」とエールを送る。(遠藤和希)