「女に何が書ける」と言われながら 女性投稿欄の70年

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松本紗知
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 昭和、平成、令和と、女性たちは暮らしのなかから、どんな思いをつづってきたのか――。朝日新聞の女性投稿欄「ひととき」が、来月2日に誕生70年を迎えます。当初は「女に何が書ける」と言われながらの船出でしたが、生活の実感に基づく声は共感を呼び、新たな声を生み、時には社会を動かすきっかけにもなりました。70年の歩みを、寄せられた投稿(抜粋)とともにたどります。

10月2日に「ひととき」70年記念イベント 読者150人をご招待

ひととき70周年を記念し、10月2日(土)に東京・築地の浜離宮朝日小ホールでイベント「くらしを書く、書いて生きる」を開催します。作家・桐野夏生さん、東京大学大学院情報学環教授・林香里さん、オンライン署名サイト「Change.org Japan」の武村若葉さんが出演。午後2時開演です。詳細、申し込みはこちらから。

占領下、はじまった「ひととき

 最初のひとときが掲載されたのは、1951年10月2日。戦争に敗れ、連合国軍総司令部(GHQ)の占領下に置かれていた日本が、翌年に主権を回復しようとしていた時期だった。

 この月に復活した家庭欄の目玉企画として、当時の学芸部の影山三郎デスクが「ふつうの女性が何を考えているのかわかる随筆欄を」と発案。しかし、市井の女性の投稿に紙面を割くことに社内から反対の声が上がり、第1号は作家・平林たい子の寄稿「台所」となった。

写真・図版
ひととき第1号は、作家平林たい子の寄稿だった=1951年10月2日付

 一般の読者の投稿が最初に掲載されたのは、52年1月7日。千葉県の主婦からで、「“しつけ”ばやり」と題し、子どものしつけへの熱が高まる社会へ一石を投じる内容だった。

 〈まるでハシカのように、昨年は“しつけ”という言葉が流行した。たしかに小さい時からしつけによって、よい習慣をつくることは、将来の社会生活に役立つことが多いと思います。しかし“しつけ”は盆栽いじりとはちがいます。子供の円満な成長を第一義に考えなければいけない、と私は思うのです〉

 女性投稿欄の反響は大きく、4月下旬からは、現在と同じく、読者の投稿だけで作る欄になった。

「私は魚屋の娘です」

 54年3月1日、米国がビキニ環礁で水爆実験を行い、日本のマグロ漁船・第五福竜丸が被曝(ひばく)した。すると原水爆実験に反対する声が次々と寄せられた。

 〈私は魚屋の娘です。今度の原爆魚の影響でお店は開店休業のような状態です〉(東京都・21歳)

 〈私たち個々の台所への影響も多大である。こんなことを繰り返されては、世界共通であるべき海は非常に不安なものになる〉(東京都・52歳)

 〈国民はアメリカでもソ連でもなく、ただ平和を願っているのです。今こそ日本中の主婦たちは、世界の人々にさきがけて原爆製造反対を叫ぼうではありませんか〉(清水市〈現・静岡市〉・26歳)

 これらの声は、評論家の松岡洋子の取りまとめで元米国大統領夫人のエレノア・ルーズベルトに届けられた。エレノアは米国内の75紙に、要約した手記を発表した。

「どうして百姓といえば…」

 インターネットもSNSもない時代、ひとときは、同じ思いを持つ人々を結ぶ役割も果たしてきた。54年4月、地方の農家から東京に女中に来た19歳が、都会と田舎の格差についてつづった投稿が掲載された。

 〈東京へ出て来て、いろいろ…

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