終戦日に墜落死した英軍兵、供養を続ける寺 憎しみは仏心で乗り越え

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伊藤繭莉
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 1945年8月15日、千葉県旧土睦村(現在の睦沢町)で、英軍兵が墜落死した。地元の寺では、戦後間もない時期から毎年8月、英軍兵を供養してきた。地元の反発があっても、世代が変わっても、1人の青年のために追悼を続ける。

 今年も8月18日、睦沢町の光福寺で、故人の供養をする「施食会」が開かれ、桂嶽和道(かつらだけわどう)住職(74)が檀家(だんか)らの前で読経した。故人の名前を読み上げる際、終戦の日に亡くなった英軍兵、ジョン・F・J・A・ボナス海軍少尉(当時22)の名前も読み上げた。

 連合国軍総司令部(GHQ)の調査報告書や睦沢村史などによると、1945年8月15日早朝、ボナス少尉は東京周辺を攻撃するため、艦上攻撃機に乗り出撃。だが、空中戦の末、落下傘が開かないまま、水田に墜落して死亡した。住民が遺体を埋葬し、先代の住職で当時の区長だった、桂嶽住職の父、円応さんが墓標をたてたという。

 桂嶽住職によると、連合国軍により遺体が掘り起こされた後、円応さんは境内に墓標を移し、毎朝線香をあげ、毎年8月には供養していたという。三十三回忌の節目に古くなった墓標を取り除いたが、位牌(いはい)は境内に飾っていたという。

 周辺では、戦地で家族を失った人や、空襲で被害に遭った人もいた。敵兵の供養に対し、近所からの反発もあった。円応さん自身も、区長として出兵する人を見送っていたといい、「敵国への憎しみもあったと思うが、供養し続けたのは、人を助けるという仏心があったのではないか」と桂嶽住職は推察する。

 先代の思いを引き継ぎ、寺では今後も供養を続けていく。

遺体は裸で道に放置、埋葬し直しは「戦犯逃れるため」との見方も

 睦沢町の渡辺清さん(88)…

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