おしゃれだった「子どもにパーマ」 終戦直後にぎわう店

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山本大輔
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 終戦から3年後の1948年、小倉市(現北九州市)の美容室は、パーマをかける子どもたちでにぎわった。東京発の流行で地方にも広がったという。

 「戦時中に抑制されたおしゃれの要求が一気に噴き出したころです。特に富裕層で流行したのがパーマネントウェーブ。子どもにパーマをかけるのも、お母さんのおしゃれでした」

 そう説明するのは、理美容の学校法人国際学園九州CTB専門学校(北九州八幡東区)で文化論などを教える後藤広一朗さん(52)。国家試験の異なる理容と美容の両方の資格を持ち、同市内で理美容計4店を経営する。

 子どもたちにもおしゃれへの憧れが芽生えた時代だった。50年当時に5歳だった後藤さんの母親は、人気子役として少女雑誌の表紙を飾っていた松島トモ子さんのウェーブのかかった髪形に憧れた記憶がある。戦時中は男性の長髪禁止、女性もパーマを含む「浮華なる化粧服装の廃止」などの国策を受け、男子が丸刈り、女子はおかっぱが普通だった。戦後のパーマ人気は、国民の自由意思が認められる時代への移行を象徴する現象の一つだという。

 同時に、それまで髪を「清潔…

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