「経験を力に」 バレーボール初の五輪女性監督、中田久美の問いかけ

バレーボール

木村健一
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 日本のバレーボール女子で五輪では初の女性監督、中田久美(55)は1カ月前、会見で泣いていた。東京五輪代表の12人を発表したときだ。「5年間、ともに戦ってくれた選手たちに敬意と感謝を込めて選んだ」

 バレーボール女子で日本は2012年ロンドン五輪で銅メダルを獲得したが、16年リオデジャネイロ五輪では5位に終わった。日本協会からメダル奪還を託され、16年秋、代表監督に就いた。

 チームは絶対的エースの木村沙織と名セッターの竹下佳江が去り、ゼロからの出発となった。就任会見で当時、こう語った。

 「私のバレーボール人生の最後、東京(五輪)に懸けたい、と思いました」

 日本代表の女性監督は1982年の生沼スミエ以来2人目だった。55歳。五輪では初の女性監督として東京で戦う。

 現役時代は「天才セッター」と呼ばれた。中学2年でバレー塾へ飛び込んで合宿生活を送り、史上最年少の15歳で日本代表入り。五輪は84年ロサンゼルスから3大会連続で出場し、92年バルセロナ五輪では日本選手団の旗手も務めた。

 「五輪は金メダル」と思ってきた。ロス五輪の銅メダルは「負けでしかなかった」。引退後、「もう一度五輪へ出たい」と世界最高峰のイタリアへコーチ留学し、球拾いから始めた。11年に久光製薬のコーチ、翌年に監督となり、プレミアリーグ(当時)を3度制した。

 「監督は観察業」と言う。久光では選手と同じ寮で暮らし、自室のドアを開け、選手が気軽に相談できるようにした。日誌を書かせ、選手の個性や考えを見極めた。

 「こうしなさい」と言わず、「こうするには?」「なぜ?」と問う。考えて答えを探してもらいたいからだ。

 「引退後の人生の方がずっと長い。経験を人生の力にしてほしい」

 試合中の鋭い眼光とは対照的に、選手への思いは温かい。コロナ禍で代表の活動が止まった時期には読書を勧め、1冊の本を挙げた。ウルグアイの大統領だった、ホセ・ムヒカさんの演説をもとにした絵本「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」。公邸に住まず、給料の大半を寄付し、古い車に乗り、質素な暮らしを続けたムヒカさんは、発展と消費を求める世界に疑問を投げかける。

 「世の中が豊かになっても、目に見えない敵(コロナ)が襲ってきた。なぜバレーをやっているのか。心の豊かさとは、人生とは。考えてもらいたかった」

 主将は1児の母の荒木絵里香に託した。「子育てしながら、モチベーションを維持している。女子選手の新しいロールモデル(手本)を示してほしい」

 東京五輪は1次リーグで1勝3敗と苦戦が続く。2日夜、準々決勝進出をかけて、ドミニカ共和国戦に臨む。「大一番。選手には勇気を持って挑戦してもらいたい」木村健一