【詳報】長崎原爆の日、各地で追悼 平和願って万灯流し

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 1945年8月9日午前11時2分、長崎市に米軍が原子爆弾を投下しました。7万人以上が死亡したとされ、76年が経つ今も多くの人が健康被害に苦しんでいます。

 今年1月に核兵器の開発や製造、使用などを全面的に禁じる「核兵器禁止条約」が発効してから初めての「長崎原爆の日」でもあります。しかし現時点で、核保有国や米国の「核の傘」の下にある日本政府はこの条約を批准していません。

2008年8月から始まった初期の「ナガサキノート」

朝日新聞長崎県内版で2008年8月に始まり、長期間にわたり連載が続く「ナガサキノート」。シリーズごとにまとめたロングバージョンの記事を紹介します。

 長崎市では9日午前10時45分から平和公園で平和祈念式典が開かれました。田上富久市長が読み上げる「平和宣言」や被爆者代表が述べる「平和への誓い」に対し、菅義偉首相は何を語ったのでしょうか。またこの日、各地で犠牲者を悼む催しなどが開かれています。被爆地ナガサキの一日を朝日新聞デジタルで詳報するとともに、2008年から続けている被爆者の記録「ナガサキノート」の一部を紹介します。

19:00

爆心地近くの浦上川沿いで「万灯流し」

 爆心地近くの浦上川沿いで「万灯流し」があった。原爆の犠牲者らを追悼するため毎年8月9日に開かれてきたが、昨年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止に。今年は規模を縮小して実施した。密を避けるために灯籠(とうろう)は川に流さず、近くの小学校の児童らが作った約400個を川沿いに設置した。

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長崎市の爆心地近くの浦上川沿いで9日夜、「万灯流し」があった。原爆犠牲者らを追悼するため毎年開かれてきたが、昨年は新型コロナの影響で中止。今年は規模を縮小し、灯籠(とうろう)を川に流さず、近くの小学生らが作った約400個を川沿いに設置した=金子淳撮影

 灯籠を作った山下桃佳さん(9)は虹や花の絵を灯籠に描いた。「平和な世界になるようにという思いを込めた」

14:00

永井隆博士の記念館に来場者

 自らも被爆しながら救護活動に身を捧げた医師、永井隆博士の記念館(長崎市上野町)では、来場者らが当時の資料などに見入っていた。永井博士が亡くなって今年で70年。

 永井博士は爆心地から約700メートルの旧長崎医科大付属病院で被爆した。著書「長崎の鐘」には、医療体制が壊滅した中で負傷者の救護にあたった様子を克明に記した。

木場田友次さん 永井博士の桜、絶やさない

木場田友次さん(1938年生まれ)は原爆投下直前に疎開して被爆を免れたが、家族が犠牲になった。被爆者救護に力を尽くした永井隆博士(1908~51)との縁があり、永井博士が人々を元気づけようと植えた桜を次代に伝える。

 博物館の前には、永井博士の病室兼書斎だった如己堂がある。その名は聖書の「如己愛人」(己の如(ごと)く人を愛せよ)に由来する。

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永井隆記念館の展示を見る来館者=2021年8月9日午後1時31分、長崎市上野町、福冨旅史撮影

 展示を見終えた熊本県菊池市の中学2年、辻弥里さん(14)は、起き上がれない状態のまま顕微鏡で研究を進める永井博士の写真が印象に残ったという。「病に倒れながらも人のために尽くした。私も誰かを助けられる大人になりたい」

12:45

被爆者5団体の代表ら、首相に要望

 長崎の被爆者5団体の代表らが、長崎市内のホテルで菅義偉首相らと面会した。

 5団体は、国が定める援護対象区域の拡大や、今年1月に発効した核兵器禁止条約への署名、批准などを求める要望書を手渡した。

 長崎では、国が定める被爆地域の外にいたために「被爆者」と認められず、「被爆体験者」とされている人たちがいる。被爆者団体側は、菅政権が広島の援護対象区域外で「黒い雨」を浴びた人たちを救済すると決めたことを受け、長崎にも同様の対応を求めた。

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菅義偉首相(左端)と面会し、要望書を手渡す被爆者団体の代表ら=2021年8月9日午後0時50分、長崎市、代表撮影

12:30

被爆クスノキに向かって手を合わせる人も

 爆心地から約800メートルの山王神社境内に、「被爆クスノキ」がある。原爆の熱線と爆風で枯死状態になりながらも再び芽吹き、被爆者らを励ましてきた。長崎出身の歌手・福山雅治さんがこれをモチーフにした曲「クスノキ」を作ったことでも知られる。

 近くには爆風で一本柱となった鳥居もあり、国の史跡に指定されている。

森田博満さん 被爆クスノキに生かされた

森田博満さん(1934年生まれ)はいつもクスノキのそばで遊んで育った。爆心地から約800メートルのクスノキは、黒こげになりながらも再生した。森田さんはクスノキを守り、クスノキに励まされてきた。

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山王神社の「被爆クスノキ」を眺める参拝者ら=2021年8月9日午後0時39分、長崎市坂本2丁目、山崎毅朗撮影

 9日正午過ぎ、神社には参拝客が途切れることなく訪れていた。被爆クスノキと鳥居に向かって手を合わせて祈る人もいた。

 長崎市内から訪れた嶋山直美さん(53)はニュースでクスノキを知り、初めて訪れた。「長崎に住む自分にとって原爆は他人事ではない。クスノキは力強いが、傷が当時の被害を感じさせて、悲しい気持ちにもなった」と語った。

 福岡県大刀洗町の小学校教諭、朝妻慈(いつく)さん(26)は、勤め先の小学校の修学旅行の下見で神社を訪れた。「福山さんの歌は合唱曲にも使われるので、クスノキは子どもにとっても親しみやすい。被爆した背景も含めて子どもに伝えたい」と話した。

11:50

あの日を伝える説明板が除幕

 〈あの日の五社公園はまさに地獄絵図そのものだった。血で真っ赤に染まった人や焼けただれた皮膚をぶら下げて歩く人で埋めつくされ、水を求める声がこだましていた〉

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被爆者の森田博満さんは、76年前に公園で見た光景を記した説明板を立てた。9日、小学生によって除幕された=9日午後0時11分、長崎市御船蔵町、真野啓太撮影

 長崎市の五社公園に、そう書かれた説明板ができた。被爆者の森田博満さん(86)が今夏、立てた。76年前、近くの自宅で被爆し、避難する途中に、公園で見た光景を説明板に記した。「当時のことを語れる人がいなくなっても、この説明板が伝えてくれる。わたしの集大成」と森田さん。9日午前11時50分ごろ、地元の小学生の手で除幕された。

11:35

首相、核兵器禁止条約への参加に言及なし

 平和祈念式典で、菅義偉首相があいさつに立った。今年1月に発効した核兵器禁止条約への参加や、長崎の被爆者の認定対象拡大について具体的な言及はなかった。

11:30

長崎西高校で慰霊祭

 長崎県長崎西高校では、かつて同じ場所にあった旧制県立瓊浦(けいほ)中学校の同窓会が慰霊祭を開いた。爆心地から約800メートルに位置し、生徒や教職員ら約400人が原爆の犠牲になったとされる。同窓生や生徒の代表らが参列し、祈念碑に献花し、黙禱(もくとう)を捧げた。

内田伯さん 青、黄、紫……次々に変わる光を見た

内田伯さん(1929年生まれ)は当時、旧制瓊浦(けいほ)中4年生。父と弟ら家族5人を失った。戦後は長崎市職員として、原爆戦災誌の編集や市民平和憲章の原案作りに携わった。

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旧制瓊浦中の同窓会が開いた慰霊祭で、献花する参加者=2021年8月9日11時45分、長崎市の長崎西高、安斎耕一撮影

11:22

被爆者代表・岡信子さんが「平和への誓い」

 平和祈念式典で、被爆者代表…

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