疑惑の判定、遠ざかった五輪 米国の空手選手が願うこと

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ニューヨーク=藤原学思
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 東京五輪で初めて競技として採用された空手の試合が5日から始まる。「私も出場できていたかもしれない」。そんなやりきれなさを抱えながら、競技を見守ろうとする選手が米国にいる。

 高級ブランド店が並ぶ米ニューヨークの目抜き通り「五番街」に、ある空手選手の大きな看板が掲げられている。「あ!」。マヤ・ボンソビッチさん(27)は7月下旬、思わずスマートフォンを向けた。その選手とは、10年来の知り合い。うれしかった。

 「私だって、あのラルフローレンの、あの米国代表のポロを着て、隣に立っていたはずなのに」。そんな思いも頭をよぎった。

 ボンソビッチさんは米国で生まれてまもなく、両親の故郷のポーランドに移住した。11歳で米国に戻り、ニューヨークで暮らし始めた。

 当時、英語が全く話せなかった。学校に行っても言葉がわからず、友だちもできない。そんな中、「言葉は必要ない」と、父親が近所の空手道場に連れていってくれた。

 「道場では、だれもが平等だった。センセイが規律や敬意を教えてくれて、すぐに空手が好きになった。読むのは英語ではなく、相手の体の動き。練習で使われるのは主に日本語で、学校にいるときのように『劣っている』と感じる必要がなかった」

 2016年夏、空手が東京五輪で新競技になることが決まる。「すごく興奮した。自分のしているスポーツが認められた、しかも日本でやるんだ、と」

 当時は大学を卒業したばかり。「よし、五輪に出ることが私のしたいことだ。ずっと夢だったんだ」。空手に時間と情熱を注ごうと決めた。1日5~8時間、畳の上で汗を流した。

 道のりは順調だった。18年8月、米大陸選手権の68キロ超級で銅メダルを獲得した。19年3月には、同じく米大陸の選手が集う大会で優勝も果たした。最新の世界ランキングでも、同級で米大陸の選手ではトップの22位に入っている。

 だが、東京へと続く道は思わぬ形で途絶えた。

 20年1月、優勝候補として…

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