「お前はもっと上に」松田直樹の後押しで移籍決めた後輩

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岩佐友
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 サッカー元日本代表の松田直樹さんが、急性心筋梗塞(こうそく)のため34歳で亡くなってから4日で10年になる。まっすぐな人柄と闘志あふれるプレーは今も多くの人々の記憶に刻まれている。チームメートだったJ1横浜F・マリノスのMF水沼宏太(31)もその一人。「大先輩」との思い出を語ってもらった。

 「初めて会ったのは覚えていないくらい小さい時だと思います」

 幼稚園の頃、横浜マで現役だった父貴史さん(61)が若手選手を自宅に招き、バーベキューを開いたり、食事会を開いたりしていた。その中に入団したばかりの松田さんもいた。

 物心ついたときから、横浜マのファンだった。ジュニアユースに入ったのは2002年。ワールドカップ(W杯)日韓大会が開かれた年だ。松田さんが日本代表のDFで出場したロシア戦は横浜国際総合競技場で観戦した。「マリノスの選手だから特に注目していた。長い髪に、ヘアバンドの姿がすごく印象的だった」。強力なFWを無失点に抑えた姿が記憶に残っている。

 憧れの選手と初めてプレーしたのは2007年の夏。高3のユース時代にトップチームの練習に参加した。「まさか、息子とも一緒にやるとはな」。松田さんはそう笑って迎えてくれた。

 忘れられない一戦がある。10月にあったBチームの練習試合。先発に入り、緊張している自分に、こう声をかけてくれた。

 「後ろに俺らがいるから、おまえは好きなようにやってこい」

 気持ちが楽になり、伸び伸びとプレーできた。全6得点に絡み、翌週のJ1デビューにつながった。

 厳しさも教えてくれた。

 トップチームに昇格した翌年。紅白戦で松田さんからボールを取れず、ファウル気味に奪いにいくと、「倍の力で返された」。松田さんからの指示に対して「無理だよ」と言い返してしまった時には「ものすごい勢いで論破された」。

 それでも、練習が終わるとすぐに声をかけてくれた。「俺が若い時は、おまえよりもっともっと先輩に言ったり、ぶつかったりしてきた。だから、もっとこいよ。その代わり、俺はやり返すけどな」

 一つ一つのプレーに手を抜かず、熱く戦う姿勢は練習でも変わらなかった。

 ピッチ外でもオーラを放って…

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