第5回ウラン鉱山の村で訴える インドで芽吹いた広島の「種」

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岡田将平
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 「見せたいものがあるんだ」。インド東部の村、ジャドゥゴダで暮らすフォトジャーナリストのアシッシ・ビルリさん(29)はオンライン取材中、カメラを自室の壁に向けた。刺繡(ししゅう)のような額縁入りの「原爆ドーム」の絵が飾ってあった。2002年、初めて広島を訪れた時に贈られたものだという。

 村の近くには複数のウラン鉱山がある。点在する他の村々と合わせて、一帯には数万人が住むとされる。放射性物質であるウランは原発の燃料、そして核兵器の原料にもなる。米国では、ウランの採掘関係者も対象とした「放射線被曝(ひばく)補償法」がある。核保有国でもあるインドでは、原子力省傘下の公社が採掘している。

 1967年に採掘が始まるとがんや先天性の障害が広がり、90年代後半から採掘の影響が指摘されてきた。ビルリさんも鉱山で働いていた祖父と、その服を洗濯していた祖母を肺がんで亡くした。核戦争防止国際医師会議(IPPNW、85年にノーベル平和賞)に属するインドの医師たちが、ウラン鉱山の周辺では、原発性不妊症や先天性の奇形、がんが死因になる事例などの割合が他地域よりも高い傾向にあることを示す調査結果も発表した。父らの住民運動によって放射線の危険性は知られ、公社は安全対策を講じるようになったが、採掘による健康被害を認めていない。

原爆ドームの絵を飾る、ジャドゥゴダのアシッシ・ビルリさんは11歳の時に広島を訪れています。その経験が、ウラン鉱山での放射線被害を訴える今につながっています。記事の後半では、インドで芽吹いた「種」をまいた、広島市の女性の思いを紹介します。

 「いま村の人々が心配しているのは放射性廃棄物の問題です」。自宅から500メートルほどの場所に、鉱石からウランを取り出した後の「鉱滓(こうさい)」を捨てる池がある。住民の反対で新たな池を建設できなかった公社は、元の池を広げて投棄し続けているという。地震が起きれば廃棄物が漏れ出る危険性がある。ビルリさんはそう考えている。

 国内外で核廃絶を訴えてきた…

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