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瀬古利彦さんが泣いた 五輪前に逝った長男の最期の告白

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聞き手=服部尚
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 五輪男子マラソンに2度出場した瀬古利彦さん(65)は今春、長男・昴(すばる)さんを亡くした。昴さんは血液のがん「ホジキンリンパ腫」と8年間闘い、34年の生涯を閉じた。東京五輪男子マラソンが開かれる8日、瀬古さんは開催地の札幌でレースを見守る。昴さんが2歳のときにくれた、厚紙の金メダルとともに――。

 ソウル五輪の2年前に昴は生まれました。自分に子どもができるなんて不思議な感じでしたね。「俺に子どもができるんだ」と。

 当時、代表選考をめぐり世間からバッシングされ、マラソンはソウル五輪で最後だと決めていました。でもけがのせいで、9位に終わりました。

「こいつ、俺の子どもかな」

 家に帰ると、昴が厚紙にホチキスで折り紙を留めたお手製の金メダルを首にかけてくれて。そのときは、泣いちゃいました。

 選手を辞めてすぐ監督になったので、子どものことは構ってやれませんでした。1年の半分以上は合宿や海外遠征に行っていたので、昴としゃべったこともあんまり覚えていません。

 でも、放っておいても何でもできる子だったんですよ。勉強でも運動でも、何でもそこそこ器用にこなす子で。

 「こいつ、俺の子どもかな」と思うこともいっぱいありました。小さいときから、いつも「ありがとう、ありがとう」って感謝の気持ちをよく表して、いろんなものを大事にしていた。風呂とかトイレの電気を消し忘れると消しに来る。歯ブラシなんかでもなるべく長く大事に使うんです。使えなくなると「ありがとう」ってお礼を言っていました。

 運動会ではいつも1番か2番で、中学、高校と野球に打ち込みました。でも、陸上競技には向かなかったようです。

 環境問題にはずっと興味を持っていたようで、大学生のときにはクリーンな街づくりの取り組みを知りたいと、ドイツの大学に短期留学したほどです。

 サッカーの岡田武史さんは僕の大学の同級生なんですが、昴もよく知っていて。彼の講演会を聞きにいき「岡ちゃんはすごいよ、大学の時からマイ箸、マイコップ使っていて、お父さんもちゃんと意識を持たなきゃ駄目だよ」と諭されました。

「なんか胸が苦しい」が始まりだった

 大学を卒業後、昴は食品販売会社に勤めたのですがそこを1年ちょっとで辞めて、「ピースボート」の世界一周クルーズに参加しました。

 体調を崩したのはピースボートから戻ってきた2012年ごろです。「なんか胸が苦しい」と言い出して。そうこうしているうちに、苦しいから歩けなくなって車いす生活になりました。

 昴さんの闘病に加え、長年、監督を務めたエスビー食品陸上競技部の廃部が重なり、瀬古さんは公私ともに苦しみます。つらい2人を支えたのは、コロナ禍をきかっけに始めた親子マッサージでした。昴さんはいつも、瀬古さんの帰りを待っていたといいます。

 「病院に行った方がいいんじ…

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