「この国は変わらない」反骨写真家の警句、五輪下に響く

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山本悠理
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 東京五輪を通じ、選手たちの躍動する姿が連日伝えられる。祭典の光の一方で、新型コロナウイルス感染拡大を懸念し多くの人々が叫んだ「延期、中止を」の意見を一顧だにしない権力側の事実もまた、記憶に刻まれた。「この国は変わらない」。戦後日本社会の暗部をカメラに収め続けた報道写真家・福島菊次郎(1921~2015)は晩年、そう語っていた。かつて共に活動した人々は、福島さんが残した警鐘の重みをかみ締めている。

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反原発デモを撮影する福島菊次郎=2011年、那須圭子さん撮影

 山口県在住のフォトジャーナリスト・那須圭子さんは5月、福島さんと過ごした日々を振り返り、思い出を文章につづり始めた。

 同県の上関原子力発電所建設計画の反対運動を通じ、那須さんは1989年に福島さんと出会った。以来、四半世紀のあいだ福島さんの撮影に同行したり、展示会を手伝ったりした。

 軍国青年だった福島さんは戦後、「生き残ったやましさ」を抱えながらカメラを手にした。広島の被爆者を10年にわたって撮り続けた写真集「ピカドン」を61年に出版。それ以降、成田空港建設に反対する住民が繰り広げた三里塚闘争や自衛隊と兵器産業の実態など戦後の日本社会が隠し、黙殺しようとするものに次々とカメラを向けた。その写真家から直接見聞きしたものを自分以外にも伝えたいと、那須さんは考えた。

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「ピカドン ある原爆被災者の記録」を手にする那須圭子さん=山口県光市

 執筆と並行し、自身が福島さんを写した写真群も見返した。歴史を直視せず経済成長に血道をあげる社会に絶望し、「もう僕は死ぬことにした」と言ってこしらえた棺おけに横たわる姿。東京電力福島第一原発事故の現場を見つめた厳しいまなざし。「人が老いて死んでいくところを隠さずに記録し、隠さずに発表して」と撮らせた、最晩年の小さな影……。

 「僕が変わればこの国も変わる。そう思ってるの」。出会ったばかりのころ、那須さんは福島さんの意気込みをよく耳にした。だがその期待は、亡くなる数年前から「もうこの国は変わらないよ」に移っていった。2015年9月。安倍前政権下で安保法案が強行採決されようとするなか、病室で福島さんはつぶやいた。「みんな戦争なんて始まらないと思ってるだろ。でも、もう始まるよ」。それが、那須さんの聞いた最後の警句だった。

 一度決めたら、何が何でも突…

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