甲子園に立てなかった兄はヒーロー 俳優の池田朱那さん

聞き手・安井健悟
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 小学1年から中学1年まで野球に打ち込み、地元選抜チームに選ばれたこともある俳優の池田朱那さん(19)に、高校野球への思いや球児へのメッセージを聞いた。

 小学1年のときに野球を始めました。二つ上の兄が少年野球をやっていて、憧れだったんです。兄が大好きで、子どもの頃は何でもまねしていましたね。

 私が5歳のとき、兄のユニホームを勝手に着て、一人でチームのグラウンドに出かけたんです。周りの保護者からは「危ない」ってすごく怒られました。入部できるのは小学生から。少しでも早く野球がしたくて、いても立ってもいられなかったんだと思います。

 ポジションは主にショートでした。キャッチャーの子が試合当日に体調を崩して、代わりに出場したこともあります。自慢じゃないですけど、盗塁を狙った3人を、全員刺したんですよ。百発百中だったので、その後しばらくはキャッチャーをやることになりました。ホームランもちょこちょこ打っていましたね。

 中学校に上がっても兄と同じチームに入りました。硬式野球で男の子しか入れないチームでしたが、父が監督に直談判してくれました。でも、中学1年のときに挫折することになります。「野球が一番好きだ」と言っている子たちの努力はすごい。実力や体力の差がどうしても埋まらず、ついていけなくなりました。ちょうどその頃、今の事務所にスカウトされ、幼い頃からの夢だった俳優の道に進むと決めました。

 グラウンドに入るときに一礼したり、先輩一人ひとりに「おはようございます」とあいさつしたり。練習後のグラウンド整備や道具の手入れも心を込めてやりました。いま私がお仕事をできているのは、家族やスタッフの皆さんなど周りの方々の支えがあってこそ。野球を通じて、人間性を磨き、感謝の気持ちを学ぶことができたと感じています。

 野球の中でも、高校野球は特に好きです。みんなが「最後だ」って思っているから、がむしゃらなのがいい。ベンチ入りできなかったメンバーも、スタンドで声をからして応援する。人生でこんなに一生懸命になれることなんて、なかなかないんじゃないかな。一番の魅力は、「甲子園」という大きな目標があること。みんな甲子園を目指して頑張っていると思います。

 兄も高校球児の一人でした。健大高崎(群馬)で将来を期待される選手だったのに、入部早々に肩を壊してしまった。状態が悪いときに医者から投げることを止められましたが、無理して練習を続けると、二度と遠投ができなくなったんです。どうしても野球がやりたくて、痛いことも我慢する。兄のつらそうな様子を見て、本当に命がけだなと感じていました。兄は甲子園のグラウンドに立てませんでしたが、私の中ではヒーローです。

 昨年の大会が中止になったのはショックでした。私の一つ下の学年が、昨年の3年生。青森山田(青森)に少年野球時代の後輩がいて、中止が発表された後、「大丈夫?」とメールしました。彼は「残念です」って、ものすごく悔しがっていた。甲子園に出たいがために、一人で寮に入って頑張っていました。最後に甲子園を目指すことができなかったのは、つらかっただろうな。

 今年の大会に出る選手は、目標を失った先輩たちの姿を見て、自分たちも悔しい思いをしたはず。2年ぶりに開催される今年の大会にかける意気込みは、例年とはまた違ったものになると思います。

 コロナ禍によって、何もかもが当たり前ではないと気づかされました。甲子園を目指すこともそうだし、毎日の地道な練習もそう。

 野球ができる一日一日を大切にしつつ、甲子園を目指せなかった先輩たちの分まで、思う存分楽しんでほしいです。グラウンドでプレーする皆さんのことを、先輩たちもきっと応援してくれると思います。

 悔いを残さないように、頑張ってください!(聞き手・安井健悟)

     ◇

 高校野球が大好きな池田朱那さんに、これまでの夏の選手権大会で「心に残った選手」を選んでもらった。

大船渡(岩手)の佐々木朗希投手(第101回大会)

 高校歴代最速の163キロを出したときには、衝撃を受けました。

 佐々木投手と私は同い年。甲子園まであと一歩に迫った岩手大会の決勝では、国保陽平監督が佐々木投手の疲労を心配して登板させず、花巻東に敗れます。佐々木投手はその後、ロッテに入団し、高校時代に立てなかった甲子園のマウンドでプロ初勝利をあげました。もしもあの決勝で投げていたら、けがをしていたかもしれません。

 本音を言えば、高校球児として甲子園で投げる姿も見てみたかった。でも今後はプロの佐々木投手を応援したいです。

前橋育英(群馬)の梶塚彪雅(ひょうが)投手(第101回大会)

 少年野球をやっていた頃、何度か対戦したことがある梶塚投手。小学生のときから、野球がうまくて有名でした。

 ある大会で、梶塚投手率いるチームに完全に抑えられてしまいました。それが悔しくて、次は絶対に負けたくないと思い、手から血がにじむほどバットを振った記憶があります。

 そんな梶塚投手とは小学6年で再会することに。地元の選抜チームに選ばれたとき、チームメートになりました。

 前橋育英は一回戦で国学院久我山に敗れましたが、甲子園のマウンドに立った梶塚投手を尊敬し、誇りに思っています。

金足農(秋田)の吉田輝星投手(第100回大会)

 公立校の金足農が甲子園で一回戦、二回戦と勝ち進むにつれ、興奮が増していきました。最後は、秋田勢で103年ぶりとなる決勝進出を果たします。

 吉田投手には伸びのある直球や多彩な変化球など、魅力がたくさんあります。それに、チームみんなで楽しそうにプレーしているのが印象的でした。

 「全員野球」をするチームは強い。ワンマンではなく、最後までみんなで勝利をつかみにいく姿にひかれ、自然と応援していました。

常葉菊川(静岡)の町田友潤(ともひろ)選手(第90回大会)

 町田選手のプレーを初めて見たとき、その守備力に魅了されて、目が離せませんでした。

 町田選手は二塁手として、2007年春の優勝、08年夏の準優勝に貢献しました。誰もがセンター前に抜けると思うようなライナーも、軽やかな動きであっさりとアウトにしてしまう。守備を通じて何度もピンチを救う姿がすごいと感じていました。

 あんな選手がバックにいたら、投手も心強いだろうなと思います。