東京タワーの下で追った白球 母校8強に「勇気」  

有料会員記事

赤田康和
[PR]

 コロナ禍で店の経営は苦しい。五輪は世界の人々が集う祭典のはずなのに、街には華やぎがない――。そんな心晴れぬ日々を変えてくれたのは、東京タワー東京都港区)の足もとにある母校の後輩たちの奇跡のような活躍だった。

 東京都中央区のそば店「築地さらしなの里」の4代目店主の赤塚滋行さん(48)は築地で生まれ育ち、港区にある中高一貫の芝中学・高校に進学し、硬式野球部で青春を過ごした。

 東京タワーを仰ぎ見る校庭は狭く、外野フライの練習もままならない。進学校ゆえに練習時間が限られる。日が暮れるとタワーにともった明かりを頼りに道具を片付けた。

 当時は同学年の部員が3人だけ。チームは弱く、進んでも2回戦までだった。ガールフレンドとのデートを楽しむ部員もいた。

 だが、その後、チームは強化が進められた。シニアリーグに加盟し、中学の3年間も選手が試合に出られるようにした。

 そして今年、夏の甲子園・東東京大会で野球部史上初の8強に進出した。先月29日、関東第一高校と対決した準々決勝、赤塚さんも店を抜け出し、江戸川区球場に駆けつけた。

 芝高校側の三塁側スタンドは卒業生や在校生らでほとんど満員。芝の好プレーのたびに歓声があがり、ピンチの場面では励ますように手拍子がおこった。

 5回に連続安打に失策もからんで8点を失い、7回コールドで敗れたが、4回までは両チームともに0点で互角の闘いぶりだった。「よく鍛えられた強いチーム。僕らの頃とは雲泥の差がある」。目を細めた。

 30年前、1991年の東東京大会。1回戦の足立高校との試合で、背番号1を背負った高校3年の赤塚さんはマウンドに立った。

 球威はそれほどなかったが…

この記事は有料会員記事です。残り1311文字有料会員になると続きをお読みいただけます。