第4回娘さん、もうここは日本じゃない 全てが一変したあの日

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中野晃
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あの海の向こうに ~植民地で教えた先生~④(全5回)

 つらい出来事で、いつだったか記憶も薄らいだ。

 植民地朝鮮の大邱で暮らしていた杉山とみさん=富山市=の家に太平洋戦争後期、四つ上の兄が南方で戦死したことを知らせる通知が届いた。

 どこで、どうして兄は死んだのか具体的な情報は伝えられず、遺骨も遺品も届かなかった。兄は結婚して間もなく出征した。新妻との間に双子の娘が生まれたことも知らず、父の帽子店を継ぐ夢も断たれた。

 1945(昭和20)年1月、杉山さんは4年近く教壇に立った達城国民学校から、大邱師範学校付属国民学校へ異動になった。

 「内地」は米軍の無差別爆撃を受けるようになり、大勢の市民が犠牲になった。朝鮮は本格的な空襲に見舞われることはなかったが、学校では連日のように防空壕(ごう)への避難や機銃掃射から身を守る訓練を繰り返していた。

 45年8月15日。

 学校は夏休み中だった。正午に重大放送があるとの知らせが入り、ラジオの前で耳をすませたものの、よく聞き取れなかった。一緒に聞いた父は黙っていた。夕方近くになり、町中が歓声で騒然とし始めた。

 「トンニプ、マンセー(独立…

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